1899年 京都市生まれ
1912年 西村五雲に師事
1919年 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業
1926年 同校教員
1938年 画塾晨鳥社を主宰
1951年 京都日本画家協会理事長
1956年 日本芸術院賞受賞
1958年 日展評議員
1969年 日展理事
1971年 京都市文化功労者、日本芸術院会員
1973年 勲三等瑞宝章受章
1975年 日展顧問
1980年 文化功労者
1981年 文化勲章受章
1984年 3月16日、京都市にて死去。
山口華楊は、明治32(1899)年、京都市中京区油小路錦で友禅の職人をしていた山口安之助・なを夫妻の二男として生まれます。
幼い頃より粘土や筆で動物を写すことを好み、明治45年、格致尋常小学校(現在は京都市立洛央小学校に統合)を卒業すると、岸竹堂、竹内栖鳳の弟子で、動物画や花鳥画をよくした西村五雲に入門しました。
病弱であった師五雲のすすめにより大正5(1916)年、京都市立絵画専門学校(絵専)別科に入学し、同年第10回文展に初入選します。
一時期、国画創作協会への出品を試みたこともありましたが、以後、昭和2(1927)年、翌3年と2年連続帝展で特選となるなど、官展系展覧会で活躍し、師五雲や栖鳳から受け継いだ円山・四条派の写生の伝統に、絵専で学んだ近代西洋画や革新的な日本画の知識を取り入れて新しい時代にふさわしい花鳥画を産み出し、《黒豹》に代表される、近代的な構成を持つ独自の動物画を完成させました。
その一方で、母校の絵専、その後身の京都市立美術専門学校で長く教鞭をとり、さらに昭和13(1938)年の西村五雲急逝後は五雲塾晨鳥社を解散して研究団体晨鳥社を新たに結成し、後進の育成に努めたことも特筆されます。
昭和56年にはこれらの功績により文化勲章を受章し、昭和59(1984)年に亡くなりました。
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