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脇田和 「静物」 F6号














 作家名  脇田和
 タイトル  静物
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F6号 31.5×41cm
 額サイズ  51×60cm
 サイン  作品左下にサイン。額縁裏面にサイン、タイトル。
 状態  作品状態は良好。額所々軽いスレあり。保存箱。
 略歴
1908年 東京に生まれる。
1923年 青山学院中等部中退。
1925年 ドイツに渡りベルリン国立美術学校に入学。ドイツ帝室技芸員マックス・ラーべスに師事。
    人体デッサン、遠近法、 木口版画、七宝等絵画に関するさまざまな技法を学ぶ。
1930年 ベルリン国立美術学校から金メダルを贈られて卒業。帰国。
1932年 第8回太平洋画会展に出品。日本での公募展で初入選。光風会展船岡賞受賞。
1933年 第20回光風会展で、光風会展賞を受賞。会友となる。
1934年 大森区久ヶ原にアトリエをかまえる。猪熊弦一郎、長谷川三郎らと交友。
1935年 光風特賞受賞。
1936年 猪熊弦一郎、小磯良平ら8人の仲間とともに新制作派協会を結成(現在:新制作協会)。
    第1回新制作派会に、「ジャズバンド」「ダンス」の二部作と「二人」を出品する。
    以後、逝去するまでほぼ毎年出品。
1937年 ブブノワ女史に多色石版画の指導をうける。
1943年 フィリピン、マニラ陸軍報道部勤務。44年 内地連絡のため帰還。
1945年 アトリエが戦災で消失。戦前の作品の大部分を失う。神奈川相模湖付近に集団疎開。
1949年 世田谷のアトリエ付き住居を買い求め、疎開先から帰京。
1951年 第1回サンパウロ・ビエンナーレ出展、52年パリのサロン・ド・メ、ピッツバーグ国際展参加。 
1955年 第3回日本国際美術展で「あらそい」が、最優秀賞を受ける。 
1956年 第28回ヴェネチア・ビエンナーレ出展。
    第1回グッゲンハイム国際美術賞で「あらそい」が日本国内賞に選ばれる。
    米国務省人物交流部招聘により米国各地を視察旅行、アメリカ在住のアーティストとも
    交流を深める。その後NY、パリに長期滞在。
1959年 東京藝術大学の非常勤講師となる。
1962年 長男を伴いインド、中近東、アフリカ、欧州、米国等回遊
1964年 東京芸術大学助教授就任、
1968年 東京芸術大学教授就任。
1966年 渡米、メキシコを回遊
1970年 吉村順三設計による、軽井沢のアトリエ山荘が完成(脇田美術館の前身)。
    東京芸術大学教授を退官。
1973年 世田谷のアトリエを改装。
1977年 静養のためハワイ滞在、ハワイにて79年心臓バイパス手術を受ける。
1986年 脇田和展(神奈川県立近代美術館、群馬県立近代美術館)。
1987年 ダラス、ニューヨークを経て、パリ、ベルリン、ミュンヘン、デュッセルドルフ等訪問。
1991年 軽井沢に「脇田美術館」開館。勲四等旭日小綬章受賞。
1995年 日比谷の第一生命ビル本社に、脇田和作品の常設ギャラリーが開廊。
1998年 文化功労者に選ばれる。
1999年 東京藝術大学名誉教授に就任。
2002年 脇田和展(世田谷美術館)
2003年 脇田和展(石川県立美術館)
2004年 「マニラの情景 cut of manila」開催 (第一生命北ギャラリー、2005年軽井沢にて展示)
    「卆寿を生きる作家展」(あさご芸術の森美術館)
    「丸の内アートコレクション展-近・現代日本洋画の展開」 (東京ステーションギャラリー)
2005年 脇田和展(space TRY)。詩画集『女のひとと鳥』発刊〜第69回「新制作展」出展。
    11月27日逝去


主な作品収蔵先
東京国立近代美術館、脇田美術館、島根県立美術館「化石と女」(1955年)、福島県立美術館
世田谷美術館

 評価  美術市場2012年版評価額6号=36万円。(画廊や百貨店で実際に販売されている価格)
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