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高山辰雄 「樹間」 P15号







































  
 作家名  高山辰雄
 タイトル  樹間
 技法  絹本・岩彩
 サイズ  P15号
 額サイズ  73.3x93.1cm
 サイン  画面左下に落款・印章。東京美術倶楽部鑑定証書付属。
 状態  作品の状態は、概ね良好です(薄糊小粒シミあり・画像参照)。
 額装の状態も、概ね良好です(小キズなどあり)。黄袋・段ボール箱付き。
 略歴


1912年 大分市に生まれる。
1931年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学、
1936年 東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業している。
    在学中から松岡映丘の画塾に入り、師事した。
    美校の卒業制作「砂丘」は、砂の上に座るセーラー服姿の若い女性を俯瞰的に描いた
    洋画風の作品で、後の高山の作風を思わせるものはほとんどない。高山は戦後まもない
1946年 ころ、ゴーギャンの伝記を読んで感銘を受け、その後の作風にはゴーギャンの影響がみられる
    ようになる。
1946年 第2回日展に裸婦ふたりを描いた「浴室」を出品し、特選となる。
1949年 日展に「少女」を出品し、再び特選となる。この頃から独自の幻想的な画風が定着する。
1960年 「白翳」で日本芸術院賞、
1964年 「穹」で芸術選奨文部大臣賞、
1970年 日本芸術大賞を受賞。
1972年 日本芸術院会員。
1975年 ~1977年まで日展理事長を務め、任期満了後は日展常務理事、顧問となる。
1979年 文化功労者として顕彰。
1982年 70歳の時に文化勲章を受章している。
1983年 大分市名誉市民に推挙され、
1987年 世田谷区名誉区民として顕彰される。
1985年 東京はじめ日本の5都市で「日月星辰-高山辰雄展1985」を開催。
    屏風絵の大作をはじめとする意欲作を出品し、健在ぶりを示した。
2007年 9月14日午後4時19分、肺炎のため自宅で死去。95歳没。

出身地の大分県には高山にちなんだ「高山辰雄賞ジュニア県美展」(通称「高山賞」「高山展」)と
いう名称の賞がある。

(代表作品)
「砂丘」 1936年、東京藝術大学 収蔵
「浴室」 1946年、大分県立芸術会館 収蔵
「食べる」 1973年、大分県立芸術会館 収蔵
「日(六曲屏風)」 1985年
「月(六曲屏風)」 1985年、成川美術館 収蔵
「赤い服の少女」 1997年、康耀堂美術館 収蔵
「二人」 1997年、康耀堂美術館 収蔵
「草原の朝」 2001年、康耀堂美術館 収蔵

 評価
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