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高山辰雄 「山の音」 P10号





























   
 作家名  高山辰雄 
 タイトル  山の音
 技法  紙本・彩色
 サイズ  P10号 40x52.5㎝
 額サイズ  60.5x72.5㎝
 サイン  画面右下に落款、印譜。額裏に、共シールあり。  
 状態  作品の状態は、良好です。額装の状態も、概ね良好です(枠の塗装部分の細ヒビあり)。
 略歴


1912年 6月26日大分市に生まれる。
1931年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学、
1936年 東京美術学校に卒業している。在学中から松岡映丘の画塾に入り、師事した。
    美校の卒業制作「砂丘」は、砂の上に座るセーラー服姿の若い女性を俯瞰的に描いた洋画風の
    作品で、後の高山の作風を思わせるものはほとんどない。
1946年 ころ、ゴーギャンの伝記を読んで感銘を受け、その後の作風にはゴーギャンの影響がみられる

     ようになる。
1946年 第2回日展に裸婦ふたりを描いた「浴室」を出品し、特選となる。
1949年 日展に「少女」を出品し、再び特選となる。この頃から独自の幻想的な画風が定着する。
1960年 「白翳」で日本芸術院賞、
1964年 「穹」で芸術選奨文部大臣賞、
1970年 日本芸術大賞を受賞。
1972年 日本芸術院会員。
1975年 から1977年まで(昭和50–52年)日展理事長を務め、任期満了後は日展常務理事、顧問となる。
1979年 文化功労者として顕彰。
1982年 70歳の時に文化勲章を受章している。
1983年 大分市名誉市民に推挙され、
1987年 世田谷区名誉区民として顕彰される。
1985年 東京はじめ日本の5都市で「日月星辰-高山辰雄展1985」を開催。屏風絵の大作をはじめとする
    意欲作を出品し、健在ぶりを示した。
2007年 9月14日午後4時19分、肺炎のため自宅で死去。95歳没。
出身地の大分県には高山にちなんだ「高山辰雄賞ジュニア県美展」(通称「高山賞」「高山展」)という
名称の賞がある。

 評価  
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