<その16>に戻る


杉山寧 「賜」 10号























   
 作家名  杉山寧 
 タイトル  賜
 技法  リトグラフ
 サイズ  10号 39×53p
 額サイズ  61.8×76.5p
 サイン  画面右下に印譜。限定200部の199番。
 状態  作品、額縁共に良好。布貼りたとう
 略歴


杉山 寧(すぎやま やすし)

1909年 10月20日東京府東京市浅草区浅草西三筋町(現在の東京都台東区三筋一丁目、二丁目
    西側辺り)に文房具店を営む杉山卯吉の長男として生まれる。本籍・神奈川県。
1928年 東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)に入学。山本丘人、高山辰雄らと「瑠爽画社」
    (るそうがしゃ)を結成、日本画の革新をめざす運動に携わる。
1929年 帝展に出品、
1931年 美校日本画科卒、結城素明に師事。
1934年 第1回日独交換留学生に選ばれベルリン大学に学ぶ。だが
1938年 肺結核を病む。
1943年 朝鮮満洲支那へ取材旅行。その後は病のために長く創作活動が止まる。
1947年 日展特選、
1950年 日展審査員。
1951年 「エウロペ」を日展に出展して本格的に画壇に復帰。以降、作風を一新した絵画を意欲的
    に発表する。
1957年 日本芸術院賞受賞、
1958年 日展評議員。
1958年 6月、長女・瑤子が三島由紀夫と結婚。三島は瑤子を選んだ理由について「芸術家の娘だから、
    芸術家に対して何ら幻想を抱いていないこと」を挙げた。
    実際は瑤子は見合いの際に一目で三島を気に入り、結婚を強く希望した為に、両家話し合いの
    末結婚と成った(媒酌人は川端康成夫妻)。
1962年 初めての海外旅行に出かけ、エジプトおよびヨーロッパ各地をまわる。
    その後も中近東を好んで訪れ、ピラミッドやスフィンクス、民族衣装をまとった女性など、
    旅先で心打たれたモティーフを描いた作品を多く発表した。
1969年 日展常務理事となり、
1970年 日本芸術院会員。
1974年 日展理事長に就任。文化功労者、文化勲章受章。
1976年 西ドイツより大功労十字勲章受章。
1977年 東京国立近代美術館評議員。
1991年 東京都名誉都民になる。
1956年 から1986年12月号まで『文藝春秋』の表紙画を描いた。
1993年 の誕生日の朝(10月20日)、心不全のため没した(生没同日)享年84歳。
    死後、従三位に叙せられる。墓は寛永寺谷中墓地にある。

戦前は日本画の技法を極めた技巧で知られたが、戦後は岩絵具を用いながらも線描などの日本画の技法
を一新し、メチエールにこだわった独自の作風を確立した。また。エジプトやインドなどの古代遺跡や
神像、抽象画や裸婦など従来の日本画にはなかった題材も手掛けた。亡くなる直前まで、納得いくまで
絵を修正し続けるなど完璧主義者としても知られた。


 評価
 発送