略歴 |
下村良之介 画家 (日) シモムラ, リョウノスケ*、 Shimomura, Ryonosuke*
1923年 10月15日、大阪市の能楽師の家に生まれる。本名良之助。5歳より謡・仕舞の稽古のために桃谷の
能楽堂に通う。
1935年 12歳の時に京都に移り、翌年京都市立美術工芸学校に入学。
1943年 京都市立絵画専門学校日本画科を学徒動員のため繰上げ卒業。
1946年 復員。
1948年 3月には新たな芸術活動を目指して山崎隆・三上誠・星野眞吾ら京都の若手日本画家を中心に
パンリアルが結成されるが、同年10月星野眞吾の推薦により下村も大野秀隆(俶崇)とともに入会。
1949年 第1回パンリアル展を京都藤井大丸で開催、日本画の革新を唱えるパンリアル美術協会が公に
スタートする。下村は「祭」「作品」「デッサン」を出品し、以後晩年に至るまでパンリアル展を
発表の中心にすえることになるがに出品、
三上誠、星野眞吾らとパンリアル美術協会を結成。1997年第55回展まで出品(62年第20回展を
除く)。
昭和20年代から30年代前半にかけてはキュビスム的な群像表現から次第に鳥にテーマを集中させ、
建築用の墨つぼを使用した鋭い線描による画面へと移行していく。
1956年 第8回京都美術懇話会展。1987年第40回展まで出品。
1958年 ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展(カーネギー・インスティテュート)。
1959年 初個展(フォルム画廊, 東京)。
1960年 日本画の新世代展(国立近代美術館)。
1961年 第1回丸善石油芸術奨励賞(留学賞)受賞、第1回選抜展に出品。
1962年 〜1963年欧州や中近東などを旅行。
昭和20年代から30年代前半にかけてはキュビスム的な群像表現から次第に鳥にテーマを集中させ、
建築用の墨つぼを使用した鋭い線描による画面へと移行していく。
1963年 現代絵画の動向展(国立近代美術館京都分館)。
1964年 日本現代絵画展(コーコラン美術館,ワシントン)。
1965年 第8回サンパウロ・ビエンナーレ(サンパウロ近代美術館)。
1966年 大谷大学短期大学部幼児教育科助教授。1971〜1989年教授、
以後1994年まで講師。針生一郎の選んだ-これが日本画だ展(日本画廊,東京)。
1967年 第2回針生一郎の選んだ-これが日本画だ展(日本画廊,東京)展出品。
1969年 関西歌劇団公演の歌劇「椿姫」(大阪厚生年金会館大ホール)以後、舞台美術の仕事も多く手がけ、
また“やけもの”と称する陶器や宮尾登美子「序の舞」(同56~57年『朝日新聞』連載)等の挿絵も
試みるなど多彩な表現活動を行った。
1982年 美術文化振興協会賞
1986年 戦後日本の一断面-模索と葛藤(山口県立美術館)。
1987年 第5回京都府文化賞功労賞受賞。日本画の4人展-大野俶嵩・下村良之介・星野眞吾・三上誠
(和歌山県立近代美術館)。
1989年 京都市文化功労者賞受賞。
O美術館で回顧展を開催。作品集に『反骨の画人・下村良之介作品集』(京都書院 平成元年)、
著書に『題名に困った本』(私家版 昭和58年)、『単眼複眼』(東方出版 平成5年)がある。
1990年 個展(刈谷市美術館)。
1998年 戦後日本画の革新運動-パンリアル創世紀展(西宮市大谷記念美術館)。
12月30日午前11時8分、肺気腫のため京都市上京区の病院で死去した。享年75才。
2008年 個展(京都国立近代美術館)。
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