<その8>に戻る


大沢昌助 「室内」 F6号














   
 作家名  大沢昌助
 タイトル  室内
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F6号 
 額サイズ  54.4×45.3cm
 サイン  作品右下にサイン。
 状態  作品状態は良好。額所々スレあり。タトウ箱
 略歴


大沢 昌助(おおさわ しょうすけ、1903年9月24日 - 1997年5月15日)は、昭和・平成の日本の洋画家。
戦後二科会再建時の創立会員。80歳を過ぎてソフトライン、水平線シリーズなど簡潔で色彩豊かな独自
の抽象絵画を確立した。東京都庁に壁画がある。
父、三之助は建築家辰野金吾の教えをうけ、後に東京美術学校図案科第二部(建築科)主任教授となる。
昌助の兄と弟は建築家になった。三之助の妹(いと子)は福沢諭吉の長男一太郎に嫁いだ。

1903年 9月24日、東京三田綱町に大沢三之助、みよ子の三人兄弟の二男として生まれる。
1923年 4月、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。長原孝太郎、小林万吾にデッサンを
    学び、三年次に藤島武二教室に入る。一級上に猪熊弦一郎、山口長男、荻須高徳、岡田謙三、
    牛島憲之、小磯良平、一級下に吉井淳二、久保守らがいた。
1928年 東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
1932年 世田谷区玉川奥沢町2-666にアトリエを建て、転居。この年、国立音楽学校の一期生でピアニスト
    の北村季美子と結婚する。(季美子の父北村季春は長野県歌「信濃の国」の作曲者)
1933年 大沢昌助油絵個展(日動画廊)開催、福沢一郎から励ましをうける。
1939年 この年から児童雑誌『コドモノクニ』に童画を掲載。
1942年 二科賞受賞。
1943年 二科会会員に推挙される。
1945年 4月頃、強制疎開を受け、福沢方に転居。8月、父、三之助死去。
    この年、二科会再建に会員として参加する。
1946年 武井武雄、初山滋らによる日本童画会の創立に参加。
1954年 多摩美術大学教授となる(1969年まで)。
1961年 兜屋画廊で戦後初個展。
1965年 第4回国際形象展で愛知県美術館賞を受賞。多摩美術大学正面玄関にモザイク壁画を制作。
    第8回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品
1973年 大沢昌助・村井正誠・山口長男展(夢土画廊)
1975年 麻生三郎・大沢昌助・柳原義達・山口長男展(ギャラリーセゾン)
1978年 大沢昌助・堀文子・建畠覚造展(神奈川県民ギャラリー)開催。
1981年 大沢昌助の世界展(池田二十世紀美術館)開催
1982年 二科会を退会。
1984年 大沢昌助個展(銀座アートセンターホール)開催、「隠喩(赤)」「隠喩(青)」
1991年 8月、大沢昌助展(銀座、和光ホール)開催。9月、変身と変貌 大沢昌助展(練馬区立美術館)開催。    東京都新都庁舎都議会本会議場前ロビーの大理石に壁面デザイン。
1995年 第4回中村彝賞受賞。
1997年 5月15日午前9時、急性心筋梗塞のため自宅で死去。享年93才。
    9月、追悼 大沢昌助展(練馬区立美術館)。


 評価
 発送