中野蒼穹(なかの そうきゅう、1925年〜1981年)福島県出身。本名は中野二郎。
1926年 3月16日福島県原町市に生まれ、
1945年 日本美術学校を卒業し、中村岳陵に師事する。当初は院展にて出品していたが、
師の日展転向に際して、同じく日展に出品するようになる。
1950年 第6回日展に「小駅風景」が初入選し、以後毎回入選、
1956年 第12回日展で「たそがれ」が特選・白寿賞を受賞し、翌年無鑑査となる。
1960年 第3回新日展で「山野根風景」が再び特選・白寿賞を受賞し、翌年から委嘱出品、
1964年 第7回新日展では「残雪」で菊華賞を受賞するなど、風景画を得意としていた。
1970年 第2回改組日展では審査員をつとめ、翌年会員に推挙された。
1981年 11月に福島県展功労賞等を受賞した直後の12月6日午後1時15分、心筋コウソクのため浦和市の自宅
で死去した。享年56才。急逝であったが、その業績に対し、82年3月に紺綬褒章が授章された。
主な作品としては、上記の日展各賞受賞作のほか、「翠映」(70年第2回改組日展)「山響」(81年第13回改組日展・絶筆)など。印名は「蒼穹」 「蒼」 など
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