松樹先生は「赤の時代」と称される初期作品群を通じて独立会で認められました。
当初の作風は褐色を中心に抑制された色彩と肉厚の絵具の使い方が特徴でした。
当時の生活は困窮を極め、赤ん坊に飲ますミルクの回数を減すことさえありましたが、1964年初夏に過去と決別するために大作十数点を焼却したエピソードは有名です。
自らの芸術論に忠実であるがゆえの果敢な取り組みであり、画家・松樹の偉大さを物語る上で忘れられない出来事です。
しかしながら赤の時代を代表する「三人」「原野」「家族」(北海道立近代美術館蔵)などは焼却を逃れ松樹芸術を語るうえで大変貴重な作品として、今もってその輝きを失っていません。また、数点個展などを通じて売却された作品は焼却を逃れました。
そして長い沈黙のあと満を持して1969年に「白の時代」へと突入しました。作風をがらりと変え、評価をさらに高めるきっかけになったのが「タイルの静物」(茨城県近代美術館寄託)と「コタンカムクルイの静物」(米国に流出)の2つの大作です。銀座でみかけた藤田嗣治画伯の作品にインスパイアされ、光沢のある乳白色を中心とした作品を多く生み出すようになりました。
1979年には十果会を結成し、1970年昭和会展昭和会賞、1980年安田火災東郷青児美術館大賞、1987年宮本三郎記念賞、1991年芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。また、1971年から武蔵野美術大学の教授を務め、同大学名誉教授、及び札幌武蔵野美術学院名誉学院長をつとめ、次世代を担う芸術家たちの育成に尽力しています。
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