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黒崎彰 「迷彩譜」 25号



































 作家名  黒崎彰
 タイトル  迷彩譜
 技法  黒崎彰
 サイズ  25号横 56㎝×縦81㎝
 額サイズ  横82.5cm×縦107.5cm
 サイン  画面右下にサイン。
 状態  作品の状態は良好です。 額にキズ、額面にキズがございます。
 略歴
1937年 満鉄勤務の化学研究員の父のもとで満州国大連市に生まれる
1938年 母と帰国し神戸へ。戦時下の子供時代と受験期のほぼ5年余りを父方の郷里近江(滋賀県)へ疎開
1950年 頃より芦屋の新制作神戸研究所に通う。
1962年 京都工芸繊維大学卒業。
    幕末浮世絵の強烈な色彩に影響を受け、
1965年 頃より木版画制作を始める。
1967年 第41回国画会展で新人賞を受賞。
1970年 〜79年 : 国画会 版画部会員
1970年 第7回東京国際版画ビエンナーレ文部大臣賞
1972年 第1回フィレンツェ国際版画ビエンナーレ金賞、
1981年 第3回東亜国際版画ビエンナーレ大賞など数々の受賞を重ねる。
    伝統の木版画技法を基に、赤と黒を主体とした鮮烈な表現で知られる。
2000年 紫綬褒章受章。
2006年 まで京都精華大学教授を務めた。
    『黒崎彰の全仕事』と題したカタログ・レゾネを出版。
2019年 5月14日、肺炎のため京都市上京区の病院で死去。82歳。葬儀は近親者のみで。喪主は妻。

【詳細履歴】
1937年 満鉄勤務の化学研究員の父のもとで満州国大連市に生まれる。
1938年 母と帰国し神戸へ。戦時下の子供時代と受験期のほぼ5年余りを父方の郷里近江(滋賀県)
    へ疎開。
1962年 京都工芸繊維大学 工芸学部・意匠工芸学科卒。
1963年 〜69年 近畿大学 理工学部・建築学科 講師。
1969年 〜 日本版画協会 会員。
1970年 〜79年 国画会 版画部会員。
1970年 〜81年 京都工芸繊維大学 工芸学部 講師 助教授。
1971年 インド 美術トリエンナーレ。
1972年 クラクフ国際版画ビエンナーレ招待出席 (ビエンナーレ委員会)。ポーランド、イタリア、
    スイス、フランスを旅行。
1973年 〜74年 文化庁芸術家在外研修員として、ハーバード大学、ハンブルク造形芸術大学で学ぶ。
1975年 ・76年 : モーレイ アートカレッジ 客員講師 (ロンドン イギリス)。
1978年 ワシントン州立大学 芸術学部 客員教授 (シアトル アメリカ)。
1979年 中国招待旅行(北京 上海) 国際芸術文化振興協会。
1980年 ハワイ州立大学 芸術学部 客員講師 (ホノルル アメリ力) ポートランド美術館大学 客員講師
    ポートランド アメリカ。
1981年 バルナ国際版画ビエンナーレ招待出席、(ブルガリア芸術協会)・ブルガリアを旅行。
1981年 京都精華大学 美術学部 非常勤講師 京都工芸繊維大学 工芸学部 意匠工芸学科 教授。
1982年 オーストラリア芸術協会 招待芸術家 国立キャンベラ美術大学 客員講師。
1983年 国際「紙」会議 (京都 組織実行副委員長)、美術文化振興協会派遣芸術家・ハーバード大学
    客員教授、ボストン美術館大学 客員講師。
1985年 コーネル大学東洋学部招待芸術家・国際交流基金派遣芸術家 オレゴン大学客員教授
    ノースウエスト美術大学 客員講師 ミシガン大学芸術学部 客員講師 (以上アメリカ)。
1987年 国際交流基金派遣芸術家 ヤン ファン エイク芸術大学(オランダ)、京都清華大学芸術学部
    版画分野 教授。
1988年 第12回クラクフ国際版画ビエンナーレ 国際審査員 (ポーランド)。
1989年 第1回「芸術と紙'89」コーディネーター パネリスト ニーステッド芸術協会(デンマーク)。
1991年 第2回バラトバハン国際版画ビエンナーレ 国際審査員 (インド)、ブリティッシュカウンシル
    派遣芸術家 グラスゴー美術大学(スコットランド)。
1992年 ムンク研究助成 ムンク財団(ノルウェー)。
1993年 第1回マーストリヒト国際版画ビエンナーレ 国際審査員(オランダ)、TOKYOまちだ国際
    版画賞 国際審査員 町田市立国際版画美術館、ピラミッドアトランティック版画工房
    招待芸術家(メリーランド アメリカ)。
1994年 第9回ソウル国際版画ビエンナーレ 国際審査員(韓国)、ピルチャック グラススクール招待
    芸術家(シアトル アメリカ)。
1995年 コーネル大学 美術学部 招待芸術家(イサカ アメリカ])、ピラミッドアトランティック版画
    工房 招待芸術家 (メリーランド アメリカ)、第1回ソウル国際プリントフェア・国際審査員
    (韓国)。
1996年 タマリンド版画工房招待芸術家(ニューメキシコ アメリカ)、南京芸術院、中国芸術学院・
    招待芸術家。
1998年 第12回IAPAMA国際紙会議招待芸術家・パネリスト(アデレード オーストラリア)。
1999年 国立台湾芸術学院 版画センター 招待芸術家 (台北 台湾)。
2000年 インタープリント2000 招待芸術家 マーストリヒト美術大学(オランダ)、第1回KYOTO版画2000展 企画・実行委員長、紫綬褒章 受章。
2001年 ソフィア芸術大学 招待芸術家(ブルガリア)、ブルガリア国立美術館「日本現代版画展」
    キュレーター、第2回KYOTO版画2001「日本・中国国際版画展」企画・実行委員長。
2003年 第3回KYOTO版画2003 「日本・ブルガリア国際版画展」企画・実行委員長。
2004年 サザンアメリカ版画会議招待芸術家(ニュージャージー アメリカ)、ミッドアメリカ版画会議
    招待芸術家(ネブラスカ アメリカ)。
2005年 第4回KYOTO版画2005「日本・タイ国際版画展」企画・実行委員長、美術文化振興協会
    派遣芸術家、ライデン大学 日本学研究所客員教授、ハーグ王立美術大学 招待芸術家。
2007年 ポーラ芸術財団派遣芸術家 ヒューストン印刷博物館個展 (アメリカ)。
2008年 KYOTO版画2008 「日本・アメリカ国際版画展」 企画・実行委員長、瑞宝中綬章 受章。
2009年 第1回ワルシャワIMPRINT国際版画トリエンナーレ 国際審査員 (ポーランド)。
2010年 第5回KYOTO版画2008「日本・ポーランド国際版画展」 企画・実行委員長。
2011年 国際紙芸術展シンポジウム 国立台湾師範大学 (台湾) パネラー 、伝統と革新の先駆者
    黒崎 彰 木版画の世界展 小さな夢美術館(鳥取県米子市)。
2012年 第6回KYOTO版画2012「日本・イギリス国際版画展」企画・実行委員長 、木版画と紙の
    造形展 美山かやぶき美術館 (京都府南丹市美山町島)。
2014年 「国際木版画展会議2014」/ International Mokuhanga Exhibition 2014 名誉顧問
    東京藝術大学。
2019年 5月14日、肺炎のため京都市上京区の病院で死去。82歳。葬儀は近親者のみで。喪主は妻。

黒崎 彰(くろさき あきら、1937年(昭和12年)1月10日 - 2019年(令和元年)5月14日)は、日本版画界を代表する版画家の1人。京都精華大学名誉教授。
浮世絵の伝統木版画技法を用い、現代木版画世界から、紙という素材そのものを生かし造形するペーパーワークまで、幅広い作品を生み出す。
版画史研究家[7]、版画教育家[8] としても広く活躍。「洋画と日本画の概念・範疇差を認めず、いずれも「ペインティング」とすべき」「聾唖者は世界共通(没母国性・没地域性)の手話言語を使用すべき」など独自な主張を持っていることでも知られている。

 
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