略歴 |
高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)は、東京府東京市深川区(現・江東区)出身のフランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。パリのモンパルナスで活躍したエコール・ド・パリに括られる。娘はピアニストの高野耀子。
1900年 東京深川区に生まれ。府立一中を経て東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を中退後、
1921年 本郷洋画研究所に入所し、岡田三郎助に師事する。
1922年 東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学する。
1924年 関東大震災による復興の騒ぎで落ち着いて絵画の制作が出来ないことから同級生の岡田謙三や
高崎剛、後に妻となる岡上りうらと共に渡仏する。
渡仏後は、アカデミー・ランソンに通った。藤田嗣治と親しく影響を受ける。「巴里柔道倶楽部」
の幹事にもなる。個展の開催やサロン・デ・ザンデパンダン、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・
ナショナルなどの展覧会に出品し、フランス画壇に認められるようになる。女性の寝室を描いた
絵画(ブドワール・ピクチャー)やコロンビーヌやアルルカンといったイタリア喜劇のモチーフを
得意とし、1930年フランス政府に買い上げられた《仮面舞踏会の夜》も同様のモチーフと思われる。
1928年 から二科会展に出品、29年二科賞を受賞、31年二科会会友に推挙されたが、37年二科会を脱会。
1930年 パリのベルネーム・ジュン画廊にて個展を開催した。在仏の日本人画家の展覧会にも旺盛に出品。
その繊細で優雅な点を評価する一方で、ローランサン風の甘さを批判する評もあった。
1931年 一緒に渡仏した岡上りうと結婚。
1940年 藤田嗣治とともに帰国。日動画廊で滞欧作品展を開催。一水会の会員として、毎年作品を出品し、
中心的存在になる。
その他にも文展、日展等で、文展無鑑査、審査委員・日展評議員、参与をつとめた。
1954年 現代日本美術展で大衆賞を受賞する。
1979年 肺血腫のため、品川の病院にて没する。享年79才。
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