小松 均 こまつ ひとし(1902 - 1989)
1902年 1月19日、山形県北村山郡大石田町豊田に生まれた
父親は曹洞宗延命寺の住職。生後1年ほどで父親を亡くすと、北村山郡大高根村(現・村山市白鳥)
ある 母方の伯父の家に身を寄せ、16歳までここで暮らした。8歳の時に母親が再婚したが、均は
その後も伯父の家で暮らしている。
1914年 白鳥小学校を卒業し、
1916年 富並尋常高等小学校を卒業した。
1919年 上京し、神奈川県川崎市の洋服店、東京・神田の書店、故郷の下駄屋などで働いた。
1920年 彫刻家を志し再び上京し、万玄社に勤めて新聞配達をするかたわらで、小石川の川端画学校に
入学して岡村葵園に学んだ。
1923年 中央美術展で入選、
1924年 国画創作協会展で入選したことで土田麦僊に見初められ、
1925年 京都・東山に転居した。京都では土田麦僊の山南塾に入塾したほか、東山洋画研究所でも学び、
宮本三郎や橋本徹太郎と知りあっている。
1928年 愛宕郡大原村(現・京都市左京区大原)に転居。その後国画創作協会の会友となったが、同会日
本画部が解散すると新樹社に参加した。
1929年 帝展で初入選し、
1930年 第11回院展特選。
1934年 福田豊四郎や吉岡堅二らとともに山樹社を結成し、
1937年 津田青楓らと墨人会を結成。
1939年 日本美術院院友。
1946年 第31回院展日本美術院賞、日本美術院同人。
1965年 院展で文部大臣賞を受賞した。
1975年 故郷の最上川を題材とした連作で芸術選奨文部大臣賞を受賞し、
1979年 院展で内閣総理大臣賞を受賞した。
1980年 出生地の大石田町の名誉町民となり、
1981年 16歳まで過ごした村山市の名誉市民となった。
1986年 文化功労者。
1989年 8月23日に大原の自宅で死去。87歳だった。
1990年 京都大原に小松均美術館が開館。門には自筆の「萬霊報恩郷」の額が掲げられている。
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