洋画家。一水会常任委員。
1927年(昭和二年)二月、教員だった父伝一の勤務先、小木町で生まれた。父の出身地相川に移って、旧制相川中学を卒業する。
母は戸地の生れ。画家を志し、1952年(昭和二十七年)日展にパステル画の裸婦を出品して、初入選した。
のち一水会に所属し、ここを発表の場にして油彩画を描き続け、一水会展第十回記念展賞を1965年に受賞、翌年優秀賞を受賞した。この年日動画廊(東京)で、初個展を開いている。
1971年年にヨーロッパへ渡って翌年帰朝し、日動画廊の東京・大坂・名古屋の本・支店で滞欧 作品展を開き、1976年にインド・スリランカ・タイ・中国を旅した。
この年有志とともに、現代パステル作家協会展を結成した。この間、NHKドラマ「天才画の女」「華族の女」などの絵画指導を担当、1986年には日伯受賞展で大賞をもらった。1989年に「公募団体現代パステル協会を創立し、第一回展が開催されている。九二年には国際文化賞を受けるなど、パステル画の第一人者と評された。
四度にわたるインド旅行から、インド思想の中心概念ともいわれるサンサーラ(輪廻転生)をテーマに、民族衣装の女性や女体の組み合わせなどを、多彩な色彩を駆使して描き、宗教色豊かな作品を多く残した。
その大作の一つ「サンサーラA」(百号)が、佐渡博物館にも寄贈され、常設展示されている。
誠実・温容といった人柄で、1997年(平成九年)一月藤沢市の病院で、六九歳で没した。
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