<その7>に戻る


鴨居玲 「婦人像」 F10号














 作家名  鴨居玲
 タイトル  婦人像
 技法  紙(画用紙)に鉛筆
 サイズ  F10号 54×45cm
 額サイズ  79.5×71cm
 サイン  画面右下にサイン、1973年。
 状態  画面全体に経年によるヤケ、所々に僅かな薄シミ、一部に制作上の波打ちがみられますが、全体として
 状態はおおむね良好。
 額縁マットに薄ヤケがみられます。木製専用額縁入り。
 額縁所々に僅かなスレ、僅かなアタリが数か所、額縁裏側に日焼けがみられますが、もちろんこのまま
 飾って楽しむことが出来ます。箱なし
 略歴


鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 1985年9月7日)は、石川県金沢市生まれの洋画家である。
社会や人間の闇を描いた画家であった。下着デザイナーの鴨居羊子は姉。

1928年 石川県金沢市に生れる。
1946年 金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。
    宮本三郎に師事する。
1950年 二紀会同人に推挙される。
1952年 芦屋・田中千代服装学園の講師となる。
1959年 渡仏(1958年という説もある)。
1961年 帰国。二紀会を退会する。
1964年 創作に行き詰まり、南米、パリ、ローマを渡り歩く。
1965年 帰国。
1967年 二紀会同人に推挙される。
1968年 初の個展。この時、下着デザイナーの姉・鴨居羊子を通じて知り合った 小説家・司馬遼太郎と
    親交をもつ。
1969年 昭和会賞と安井賞を受賞。
1971年 スペイン・ラ・マンチャ地方のバルデペーニャスにアトリエを構え、制作に没頭(〜74年)。
1984年 金沢美術工芸大学の非常勤講師として講義。
1985年 神戸市の自宅で排ガスにより自殺。心臓の病気と、創作に行き詰まり(この時期は自画像を
    ひたすら描いている)、たびたび自殺未遂を繰り返した末の死であった。享年57才。

画中のサインは初期にはRei Kamoiであったが、1971年頃から、Rey Camoyに改めている。

出生の謎
現代人では有るが、生年月日と生地に異説があり、生年月日には1927年10月3日説が、生地には大阪府高槻市説がある。
出生届が出されていなかったため、二つ存在する戸籍謄本には「出生を認む」と書かれてあった。鴨居が病床の母・茂代(モヨ)に尋ねると、「たしか焼きいもの甘かった時バイ…」との答えが帰って来たが、どちらも焼きいもの甘い季節なので本当の生年月日は分からずじまいである。
過去には長崎県平戸市出身と書かれているものもあるが、それは後に本人が「嘘である」と訂正している。しかし両親は長崎県の人間であり、鴨居自身の本籍も長崎県である。

主な作品[編集]
「蠢(B)」 1962年 芦屋市立美術博物館
「自己表現への探求」1969年
「静止した刻」1968年 東京国立近代美術館
「サイコロ」1969年 姫路市立美術館
「コメット」1970年 兵庫県公館
「おばあさん」 1973年 石川県立美術館
「廃兵」1973年 金沢美術工芸大学
「1982年 私」 1982年 石川県立美術館
「出を待つ(道化師)」 1984年
「道化師」 1984年

書籍[編集]
『鴨居玲素描画集<酔って候>』神戸新聞出版センター
『鴨居玲画集 夢候 作品1947-1984』日動出版部
『鴨居玲素描画集』日動出版部
『鴨居玲画集』日動出版部
『踊り候え』鴨居玲著、風来舎
『一期は夢よ 鴨居玲』滝悌三著、日動出版部
『回想・鴨居玲』伊藤誠著、神戸新聞総合出版センター
『哀しき道化師<鴨居玲の絵画と生の軌跡>』牧野留美子著、神戸新聞総合出版センター


 評価  
 備考  
 発送