略歴 |
加倉井 和夫 (かくらい かずお) 1919〜1995
1919年 神奈川県に生まれる
1944年 東京美術学校日本画科を卒業
1946年 第3回,日展 初入選
1957年 山口蓬春に師事
1958年 第1回,新日展 初の特選・白寿賞を受賞
1961年 第4回,新日展 特選
1963年 第6回,新日展 菊華賞を受賞
1966年 第9回,新日展 初の審査員を務める
1967年 日展会員となる
1969年 第1回,改組日展 桂花賞を受賞
1972年 日展評議員となる
1974年 第6回,日展「白隴」が内閣総理大臣賞を受賞
1981年 第12回,日展 第37回,日本芸術院賞を受賞
1989年 日本芸術院会員となる
1990年 日展常務理事となる
1995年 9月24日 急性心不全のため横浜市内の病院で死去。享年76歳
横浜出身であり、世界的を旅して自らの芸術を作り上げた掛軸画家が加倉井和夫です。
加倉井和夫は、1919年に横浜で生まれ、幼少の頃から様々な美術に興味を示しては、
将来画家として生計を立てて行くことを夢見ていました。そして、上京をし東京美術
学校日本画科に入学。絵画の基礎を学び始めていきます。
そして、1944年に東京美術学校日本画科を卒業後、第3回日展に出品した「林」が初入選
を果たすこととなります。
その後も日展で受賞を続けて行くのですが、自らの芸術をより高めていくために、
1957年に山口蓬春に師事をします。より研磨を重ねて行く加倉井和夫は、
その翌年の1958年の第1回新日展に「流」を出品。なんと、初の特選・白寿賞を受賞する
ことになったのです。
名声を手に入れた加倉井和夫ですが、決して奢り高ぶることは無く日々研磨を続けていき、
1961の第4回新日展に「路地」がまたも特選を受賞するという栄光を手に入れるのです。
その後も、1974第の6回日展では「白隴」が内閣総理大臣賞を受賞し、 1981前年に行われた、
第12回日展出品作の「青苑」では第37回日本芸術院賞を受賞するなど、日展での活躍は
日本中が知る程になります。結果、日展理事となり、その後の美術界へ大きな貢献を
していくこととなるのです。そんな、加倉井和夫なのですが、白を貴重とした洋画にも
強い影響を受けた清冽な作品を多く残してることでも知られています。
1970年には中近東やヨーロッパを旅行し、より新しい自らの美術表現を模索。
さらに翌年には、最初の個展を彩壷堂で開催しています。
1977年にもギリシアなどヨーロッパを旅行しており、個展「わたしのエーゲ海」も開くなど、
世界旅行をキッカケに様々な個展も開いていました。
そんな加倉井和夫の作品は、掛軸買取でも非常に高い評価があります。
その鮮烈なタッチは誰もが目を奪われるものです。自らの芸術だけを信じて、
数々の名誉を手に入れた芸術家加倉井和夫。彼の歩んだ道こと、充実の画家人生だったに違いありません。
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