香月 泰男(かづき やすお、1911年10月25日 - 1974年3月8日)は、戦後日本美術史を代表する洋画家。1911年、山口県大津郡三隅村(現・長門市三隅)に生まれる。第2次世界大戦後のシベリヤ抑留の体験をもとにした57点の油彩からなる《シベリヤ・シリーズ》が代表作。生まれ育った三隅の地で亡くなる直前まで創作活動を行った。ふるさとの自然や愛する家族を題材とした絵画や、廃材を利用して作った「おもちゃ」と呼ばれるオブジェも人気を博す。
1911年 10月25日、山口県大津郡三隅村久原(現・長門市三隅下)に開業医の息子として生まれるも、 幼い頃両親が離婚。厳格な祖父に育てられる。
山口県立大津中学校(現・山口県立大津高等学校)卒業後、川端美術学校を経て
1931年 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。藤島武二の教室に学ぶ。
1934年 「雪降りの山陰風景」が国画会展で初入選する。
1936年 美術学校卒業後、北海道庁立倶知安中学校(現・北海道倶知安高等学校)の美術科教師と
して着任。
1938年 山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)に転任する。
1939年 梅原龍三郎、福島繁太郎の知遇を得る。
「兎」が第3回文部省美術展覧会で特選になる。
1942年 太平洋戦争勃発により召集を受け、兵として満州へ。
1943年 応召。旧満州ハイラルへ配属される。
1945年 ソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。
これが原体験となり、その後の作品全体の主題・背景となる。
1947年 引揚船・恵山丸で舞鶴へ到着。
山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)へ復職する。
1948年 郷里の三隅へ戻り、山口県立深川高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)へ転任。
復帰第一作となる「雨<牛>」を発表する。
1949年 福島繁太郎が設立したフォルム画廊にて初の個展を開く。
以降、亡くなるまで年1回フォルム画廊にて個展を続ける。
1960年 大津高等学校を依願退職。その後しばらくは創作活動に専念していたが、
1966年 九州産業大学に新設された芸術学部油絵科の主任教授を委嘱される。
1969年 「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞。
新文展特選。国画会特選。国画会同人。
西日本文化賞・新潮社日本芸術大賞受賞。勲三等瑞宝章受章。
1974年 心筋梗塞にて死去
1974年 3月8日、心筋梗塞のため自宅にて死去。享年63才。
11月、シベリヤ・シリーズが山口県に寄贈される。
1979年 山口市に山口県立美術館開館。寄贈作品の常設展示室「香月泰男記念室」が設けられた。
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