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伊藤若冲肉筆「鶏図」絹本掛軸 識箱








   
 作家名   伊藤若冲 
 タイトル   鶏図
 技法   絹本掛軸
 サイズ   
 額サイズ   
 サイン   画面左中央に落款・印章。 識箱あり。  
 状態   作品は良好。
 略歴


伊藤若冲 【いとう・じゃくちゅう】

生年: 享保1.2.8 (1716.3.1)
没年: 寛政12.9.10 (1800.10.27)
江戸中期の画家。名は汝鈞。字は景和。斗米庵,米斗翁とも号す。京都錦小路の青物問屋の長男として生まれたが,絵画と禅に傾倒し,「若冲」の居士(在家の仏道修行者)号を得たのち,40歳で家業を弟に譲って画業に専念した。最初に学んだ狩野派の画法に飽き足りず,京都の古寺に伝わる宋,元,明の中国画を模写した果てに,実物写生を絶対視するに至ったらしい。その背景には,本草学の流行にみられるような時代の実証主義精神の高まりがあるが,実際の作品には,当時長崎経由で流行した沈南蘋の細密な花鳥画や黄檗宗関係の水墨画などの影響も大きく,むしろ既成の形態をデフォルメすることで幻想的,表現的な作品を生んだ点が高く評価される。40歳代の約10年を費やして完成し,「釈迦三尊像」3幅とともに相国寺に寄進した「動植綵絵」30幅(1889年に皇室に献納)がその特色をよく示す濃彩花鳥画の代表作であり,「仙人掌群鶏図襖」(1790,大阪西福寺蔵)も,金箔を貼りつめた画面に形態を誇張した鶏とサボテンを巧みに配置する傑作である。梅荘顕常と親交があったほか,売茶翁や黄檗僧たちとも交わり,信仰の念は生涯厚かった。独身を通し,晩年は深草の石峰寺に隠棲した。鹿苑寺(金閣寺)大書院の障壁画(1759)や「野菜涅槃図」(京都国立博物館蔵)などの水墨画,釈迦の一代記を表す石峰寺の石像群には,彼の信仰心と飄逸な造形感覚との絶妙な調和がみられる。拓本に似た特殊な木版画技法も黄檗宗を通じて習得,考案したものであろう。<参考文献>辻惟雄『若冲』


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