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今村幸生 「女と鳥(仮題)」 5号























 作家名  今村幸生
 タイトル  女と鳥(仮題)
 技法  紙に水彩
 サイズ  5号 36.5x26.5cm
 額サイズ  55.5x44cm
 サイン  画面左上にサイン。
 状態  作品の状態は、概ね良好です(若干の折れあり)。額装は古いものです(内部未拭)。
 略歴
今村幸生 いまむらゆきお

1935年 伊勢市に生まれる。
1951年 足代義郎に私淑、近代絵画に目覚める。(「にわとり」 「夜明け」等)。
1952年 滝口修造の著作によりシュルレアリスムの独学をはじめる。(「スパイ」 「夜の子供」等)
1962年 第30回独立展で独立賞、30周年記念賞を受賞。(「産む」 「死者の門」等)。     
    以降第37回展で独立賞(「エメラルド・グリーンによる発想」等)、
    第38回展で児島記念賞を受賞。            
    1971年より会員となるが、1982年退会。
1964年 約1年間ヨーロッパ、エジプトを初旅行。帰国後、毎夜6時間連続100日間、モダン
    ジャズをききながらのパブリック・ドローイングを行う。
    (「エリック・ドルフィーによる」等)。
1966年 今村気太郎と称し、塩化ビニール板による立体表現を行う。(「アダムとイブ」等)。
1970年 元旦から成人式までの15日間、郷里伊勢市で「エメラルド 凶。GO!'70」と称す
    パフォーマンスを行う。(「伊勢乞食闇妬刃」 「大紛伊勢好戯」等)。
1975年 銀座・フマ・ギャラリーで反モダニズムの大作による個展を開く。
    (「黄帝哄笑図」 「縲祖微笑図」等)。
1976年 韻吠斉と称し、エロスのみなぎるパステル画を制作する。
    (「妃賓踏顔図」 「掌中犠首図」等)。
1977年 パリに移住。ARCでのヤン・フォス、タキス、マリオ・メルツ等の同時代アーティストの
    個展にふれ、現代美術の必然性を自覚する。
1980年 1979年の作品にアラン・ジュフロアが序文を執筆、東京、名古屋日動画廊で帰国個展を
    開く。 (「阿父聖像」 「白帝餐霞図」等)。
1981年 抽象化がはじまり、ポスト・シュルレアリスム的傾向を脱し、現在の作風を確立しはじめる。
    (「OR '81-1」 「無題'81-3」等)。
1982年 一時帰国し、伊勢市のアトリエOHで屏風様式の大作を制作し、屏風によるパフォーマンス
    と作品展を亀谷美術館で開く。(「原生図屏風」 「X型」等)。
1983年 滞日主要大作を東京、目黒朝日マンション地下ロフトに展示、プライベートに招待された
    美術関係者との対話というパフォーマンスを行い、最後に1日展パーティーを開く。
    (「雷神図」「のびてゆく線による連作」等。
1984年 パリ、クリスチャン・シュノウ画廊で大作による個展を開く。
    <ZENON VOL.'83'84>(「ZENON VOL.1343」 「ZENON VOL.0924」等)。
1985年 1982年にオーガナイズした日本の現代美術グループ「発熱」の第3回展を横浜市の
    神奈川県民ホールで開く。(「Xの落下」 「立ち上る線」等)。
    グループを解散する。
1986年 パリ、ピエール・パラ画廊で個展を開く。<自然の力>(「85B4」  「85NR3」等)。        スティーブ・レーシー、大門四郎のジョイント・コンサートを開く。
    (屏風と衣〜今村)東京・佐賀町エキジビット・スペースで大作による個展を開く。
    <ZENON VOL.'86>ジョイント・コンサート〜スティーブ・レーシー、
    富樫雅彦/ビデオアート〜山口勝弘。


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