明治42(1909)年10月14日、東京都麹町区麹町4丁目5番地に洋画家石川欽一郎の
長男として生まれ、少年期を湘南ですごす。
昭和2(1927)年 東京美術学校西洋画科に入学し岡田三郎助に師事。同校在学中の
昭和4年 第10回帝展に「湖畔の丘」で初入選。
昭和7年 同校を卒業して研究科に進学し、同11年に同科を終了する。
昭和13年 第2回新文展に「信濃の鍛冶屋」を出品して特選となり
昭和14年 第3回新文展には「迷彩する商船」を出品して2年連続特選となった。
昭和14年 光風会会員となる。戦中は海軍報道班員として南方に赴く。
昭和22年 光風会から新制作派協会に移り同年会員となり以後同展に出品。
昭和27年 日本の貨物船に乗り世界一周旅行をし、以後たびたび海外へ赴く。海や船を
愛し、アムステルダム、ヴェネチア等水辺の風景を好んで描き、
昭和61年「7月のアムステルダム」7月のアムステルダム」で第10回長谷川仁記念賞を
受賞。明るく爽やかな緑色を基調とする穏健な画面を示す。
昭和60年 東京セントラル絵画館で、
平成4(1992)年日動画廊で個展を開催。
平成6(1994)年3月7日午前9時8分、腎不全のため東京都新宿区の国立国際医療
センターで死去した。享年84。
作品集に『石川滋彦・人と作品』(昭和50年刊)があり、
著書に『日曜画家の油絵入門』(昭和37年実業之日本社刊)がある。
また昭和17年東京帝国大学工学部講師、昭和22年学習院大学講師を
つとめたほか東海大学教養学部などでも教鞭をとった。
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