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人見友紀 「リアリズムの焦点」 F12号




















 
 作家名   人見友紀
 タイトル   リアリズムの焦点
 技法   キャンバスに油彩
 サイズ   F12号 
 額サイズ   81×70.8cm
 サイン   作品右下にサイン。額縁裏面に共シール、名刺貼付。
 状態   作品状態は良好。額所々スレあり。
 略歴


1972年(昭和42年)から翌年にかけて発生した、東海北陸地方を
中心に被害総額2億円を超える古美術や刀剣類の窃盗事件に関与し
たとして、当時33歳の人見友紀氏が家宅捜査を受けました。
隠しておいた刀剣類は見つからずに済みましたが、人見氏は
これ以上言い逃れはできないと観念し、妻に全てを打ち明けました。
すぐ後に新婚旅行で行ったことのある、香港へ高飛びをしました。
貯金を下ろし、お金をかき集め逃亡資金として用意しました。
その後妻と合流しタイへ渡りました。
タイに渡った際に呼んだ新聞には 自身が国際刑事警察機構(ICPO)
に捜査協力を要請したと言う記事を見ました。
国際指名手配にされてしまったという事です。これは日本の国際
指名手配第1号で、日本初の事でした。
そうして世界各地を転々とし、スペインのマドリードへ移り住ん
だ際に、絵を描くのが好きなのですが、 売れない画家であった
「アントニース」に出会いました、人見氏は彼に弟子入りし、
本気で画家を志しました。
その後、他者の力添えを借り、アテネにある「治外法権」の
米軍施設で画廊を持つと、描いた絵が飛ぶように売れました。
後に、ひそかに連絡を取り合っていた、実母から実父の死を
知らされ、1986年(昭和61年)自首することを決意しました。
かくして13年ぶりに帰国し
人見氏は懲役3年6か月を受けました。
服役中に「逃亡者の掟」という手記を出版。保釈後、岐阜県
に住むと「逃亡画家」を自称し、創作を続けました。

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