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広田多津 「胡蝶蘭」 扇面8号














 作家名  広田多津
 タイトル  胡蝶蘭
 技法  紙本・彩色
 サイズ  扇面8号 18.3×46.3cm
 額サイズ  41.2×64.3cm
 サイン  画面右中央に落款印譜  
 状態  作品状態は良好。額所々スレあり。黄袋・さし箱
 略歴
広田 多津(ひろた たつ、1904年5月10日 - 1990年11月23日)は日本画家。京都市中京区出身。

1904年 5月10日、京都市に麻織物商を営む父覚次郎、母京の次女として生まれる。
1916年 京都市立竜池小学校を卒業、しかし病弱のため進学せず、家事を手伝いながら独学で絵を始めた。
1919年 三木翠山に一年ほどの間住み込みの書生として日本画の手ほどきを受け、
1923年 甲斐荘楠音に学ぶ。
1924年 竹内栖鳳に入門し、竹杖会で研鑚を積む。1933年竹杖会が解散したのち、
1935年 西山翠嶂に入門。
1936年 文展鑑査展に「秋晴」が初入選した。その後、新文展に入選を続け、
1939年 第3回新文展で初めての裸婦「モデル」が特選を受賞する。
1940年 西山塾で同門の向井久万と結婚(1960年まで)。
1942年 第5回新文展「大原女」が再び特選
1946年 第2回日展「浴み」が三たび特選を受賞した。しかし、官展に出品したのは、翌1947年の
    第3回日展まで。
1948年 向井久万、上村松篁、秋野不矩、沢宏靭、橋本明治、福田豊四郎、吉岡竪二ら、京都・東京
    両系の画家による創造美術の結成に参加、創立会員となる。「世界性に立脚する日本絵画の
    創造」をうたった同会は、昭和26年新制作派協会と合流して新制作協会日本画部となったため、
    会員として以後同展に連年出品する。
1955年 第19回新制作展に出品した「大原の女」で上村松園賞を受賞、
1954年 現代日本美術展出品
1955年 日本国際美術展に出品
1960年 裸婦を一時中断して舞妓を多く描く。
1968年 第32回新制作展展出品作「凉粧」は文化庁買上げとなった。
1974年 新制作協会日本画部が独立、創画会を結成して以降、創立会員として、
1975年 第2回創画会展「帰路」
1981年 第8回創画会「白扇」
1985年 第12回創画会「臥る裸婦」をはじめ毎年出品した。
1961年 エジプト・アメリカ等8ケ国、48年イタリア・スペイン、
1977年 インド年シルクロードを旅行。
1969年 東京の彩壷堂での第1回個展以降
1975年 東京セントラル絵画館で個展を開催した。(同1981年)裸婦や舞妓を題材に、おおらかで豊饒
    な女性の美を描き続けた画業であった。
1977年 京都日本画専門学校校長となり、1978年京都府と京都市の文化功労賞を受賞した。
1981年 シルクロードを旅行
1990年 11月23日午前7時15分、心不全のため京都市北区の自宅で死去した。享年86才。


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