後藤良平 (ごとう・りょうへい)
1921年、神戸の海産物商に生まれる。京大卒。
戦後は中小企業の勤務を経て、
1952年、神戸市立神港高等学校に勤務し1980年退職。
神港高等学校に勤務しながら様々な創作活動や展覧会を開く。
自ら東洋の抽象画と銘うちカンバスに色彩を自由に
躍らせ宇宙の神秘的空間を創造した。
後藤は自ら流彩画と名づけ幾何学的に構成する抽象画を
嫌い線、面、色が混然となる熱い抽象画を描ききった。
金銭の為に作品を売らず孤高の生活の中、
1998年、肺の病を得て国立神戸病院にて没する。
画家が孤高の内に没っしたアトリエ兼自宅には300点余りの作品が残されていました。
『自由な塗料画の現代性』などの芸術や教育、そして趣味の
旅に関する事など多方面にわたる小論文を発表。
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