1938年7月31日、アルジェリアでイタリア人の父とスペイン人の母の間に生まれる。国籍フランス。
1964年パリ美術学校に入学。
1970年教員適正証書を取得。パリで教鞭につくため高等師範学校に入学。
1973年人体解剖学や形態心理学、幾何学、建築学、美術史を学ぶ。特にデッサンなどの絵画のあらゆる技法を深く研究し、パリ美術学校の教授に迎えられる。
1978年教職を去り絵画に専念。パリ、ブリュッセル、大阪で開かれた団体展に初出品。
1979年パリの画廊、ギャルリ・ラーで個展を開くようになる。
1983年フィガロ紙、2ページにわたる特集を掲載。
1984年FIAC(現代美術国際見本市)、ディマシオの作品の出品を拒否。このため会場のグラン・パレ美術館前で抗議のデモが行われる。
1985年ストックホルムで開かれた「ギャルリ・ラーの幻想画家たち展」に参加。夏には個展を開き、芸術作品として初めてホログラフィを制作。ル・ボワン誌の記者は「ダリの夢がついに実現された」と賞賛。
1986年日本の美術誌「芸術公論」が11月号でディマシオの記事を掲載。
1987年「芸術公論」が1月号、9月号でディマシオの特集を掲載。
1981年〜87年アメリカで銀の立方賞を受賞。ベルギー・スペイン協会金賞を受賞。パリ・サン・ジェルマン・デ・プレ・フェスティバルで1等賞を受賞。
1988年日本で初めて朝日新聞社の主催により、フランス幻想絵画の偉才「ディマシオ展」が8月から12月にかけて、大阪・梅田大丸ミュージアム、広島・尾道市立美術館、東京・小田急グランドギャラリーの三会場で開催される。油彩、パステル、デッサンなど計75点を出品。
1989年フランスで個展。フィガロ・マガジンにカラー6ページ掲載。
1992年再び朝日新聞社の主催により、フランス幻想絵画の鬼才「ジェラール・ディマシオ展」が8月から1993年5月にかけて東京、大阪、京都の各大丸ミュージアムをはじめ、神戸阪急、岡山天満屋、尾道市立美術館、福岡天神大丸、下関大丸の計8会場で開催される。油彩、パステルの代表作計70点を出品。
1993年〜95年ベルギー、フランス、シンガポールで個展。
1994年〜97年世界最大の油絵(Monumental Painting)の制作。
1997年ベルギー。ニューヨークで個展。チュニジア、カルタゴの大聖堂にてチュニジア大統領及び政府主催による個展が開催され「世界最大の油絵」初公開。
1998年ベルギー、フランス、スイスで個展。
1999年カルタゴにアートギャラリー"Espace Di-Maccio"オープン。同じくカルタゴにディマシオ・アート・スクール創立。
1999年〜2003年チュニジア政府より金の「November 7th」メダルを毎年贈呈される。
2001年〜09年フランス国内だけでなくオランダ、ベルギーにおいて個展を数多く開催。2003年にはシカゴ、ニューヨークのギャラリーにおいて本格的な展覧会が行われる。
2010年フランス国内で精力的に個展開催。日本の北海道新冠町太陽にて「太陽の森 ディマシオ幻想美術館」オープン。
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