略歴 |
安徳 瑛 アントク エイ
1940年 国鉄を退社した後、「華中鉄道」に勤務していた父・安徳 敏と母・杉谷 春子の間の長男
として上海で生まれる。
1944年 上海市より引き揚げ、母親の郷里である熊本・水俣に一時疎開するが、7歳の時に熊本市に
移り高校まで過ごす。
1950年 鹿児島出身の海老原喜之助が熊本市内で主催する絵画研究所に入会する。
1951年 熊本日日新聞社の主催する「火の玉祭りの絵」コンクールに応募し、「荒れ狂う馬と人の群」
の大作を描いて、入賞。
1956年 熊本県立済々黌高校へ進学。済々黌では、1年先輩に版画家の野田哲也が居た。後に東京藝大
では同期になる。
1959年 東京藝術大学美術学部油画科に入学。久保守、寺田春弐、山口薫、伊藤廉らの教授陣に指導
を受ける。
1963年 東京芸大卒業時に「大橋賞」受賞し、国画会に卒業制作を出品し初入選する。同時に大学院
絵画研究科卒業。
第39回国画会に出品した「国歌をうたう」F100号の作品が国画賞を受賞する。
1967年 芸大同期の浜田美智子と結婚。
1969年 CWAJの版画展では「日本の若い版画家達」で佳作賞を受賞。
1970年 講談社のフェーマス・スクールズのインストラクターとして勤務、1996年に55歳で亡くなる
まで続ける。
1974年 国画会展で会員に推挙
1982年 安井賞展(1984年、1986年)
1983年 明日への具象展
1984年 日本青年画家展
1988年 初画集「街、丘、風、戻りくる日々」発刊
記念個展 東京(画廊 シェーネ),名古屋(松坂屋本店),大阪(大丸梅田店),鹿児島三越 巡回
1990年 第二作品集発刊記念個展(東京、大阪、名古屋、熊本、鹿児島)
1995年 第三作品集発刊記念個展 (東京、大阪、名古屋、熊本、鹿児島)
1996年 2月1日 55歳 肺腺癌により死去。
作風・評価
1981年のスペイン・フランスへの旅行を契機に1983年頃から発表し始めた「白い道」と、「安徳の心の深層に ある憧れの街」を俯瞰構図で描き始めた「鳥のゆく午後」という100号の作品が1984年の第27回安井賞展、安井賞・賞候補となった。(参照:1984年第27回安井賞展カタログに賞候補写真掲載)
以後「安徳の独特の俯瞰の技法」について美術関係者及び美術愛好家、詩人達から注視され始めた。
職歴
跡見学園中学校・高等学校美術講師(1967-1970)
講談社フェーマススクールズインストラクター(1970-1995)
武蔵野美術大学講師(1985-1995)
東急B上級者クラス講師(1989-1995)
東京芸術大学講師(1986-89)
公的美術館の収蔵 網走市立美術館
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