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東郷青児 「婦人像」 P60号























 作家名  東郷青児
 タイトル  婦人像
 技法  キャンバスに油彩  
 サイズ  P60号 
 額サイズ  148.5×109.0cm
 サイン  画面右下にサインがあります。東郷青児鑑定委員会の鑑定証あり。
 状態  画面全体にカンニュウのような極細のヒビがみられます。一見するとジグソーパズルのように見えます。
 画面の縁(背景部分)・指先程度の剥離箇所に補修跡が数か所みられます。作品が引き立つ専用額縁入り。
 額縁所々に僅かなスレ・アタリがみられますが、もちろんこのまま飾って楽しむことが出来ます。
 黄袋と古い布クロスばりの保管箱が付いています。
 略歴
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)
本名は東郷 鉄春。

独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名。
後期には版画や彫刻も手掛けた。

1897年 鹿児島市に生まれる。幼少時に一家は東京に転居。
1914年 青山学院中等部を卒業。青児の名前の由来はここからきていると言われている。
1915年 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。
    日比谷美術館で初個展、この頃有島生馬を知り、以後師事。
1916年 第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』により二科賞を受賞。
1921年 から1928年(昭和3年)までフランスに留学。
    リヨン美術学校に学ぶ。この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。
1928年 第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、 第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
1930年 ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行。
1931年 二科会会員に推挙。
1938年 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1942年 新文展審査員に任命
1945年 終戦後、二科会再建に挺身
1957年 岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。日本芸術院賞受賞。
    日本国際美術展大衆賞受賞。
1960年 日本芸術院会員。
1961年 二科会会長に就任。
1962年 サロン・ドートンヌ名誉会員
1969年 フランス政府より芸術文化勲章(オフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットル)を
    授与される。
1974年 アルジェリア取材
1976年 東京・西新宿に東郷青児美術館が開設(現在の損保ジャパン東郷青児美術館)
    勲二等旭日重光章授与。
1977年 文化功労者に顕彰
1978年 4月25日、第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため訪れていた
    熊本市にて、急性心不全のため死去。没後、文化功労者、勲二等旭日重光章、
    正四位追贈。

所蔵/東京国立近代美術館、北海道立函館美術館、東京都現代美術館、神奈川県立近代美術館、
愛知県美術館、広島県立美術館、宮城県美術館、鹿児島市立美術館、名古屋市美術館、
佐久市立近代美術館、諏訪市美術館、高松市美術館、福岡市美術館、ふくやま美術館、
玉川近代美術館、岩崎美術館、長島美術館、損保ジャパン東郷青児美術館、他

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