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田中阿喜良 「母子」 F20号














   
 作家名  田中阿喜良
 タイトル  母子
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F20号 
 額サイズ  73×85.3cm
 サイン  作品右下にサイン。
 状態  作品は良好。額は新品に仕立て保管してあったものです。(オーダーメイド額です)。黄袋・さし箱
 略歴
1918年 8月20日大阪府枚岡市に生まれ、
1937年 大阪府立高津中学校を卒業。
1938年 姫路高等学校に入学するが、
1940年 姫路高等学校を中退し京都高等工芸学校図案科に入学
1943年 京都高等工芸学校を卒業する。画家を志しながら応召し、3年間のブランクを経た後、
1947年 第2回行動美術展に「庭」を初出品する。
1955年 行動美術展に「棺」「枷」「母子」を出品し、同会会員となる。
    垂直線、水平線を強調した構図、簡略化した形体把握、輪郭線の使用、色の限定など、この時期
    の作品には、渡仏後完成され、「土のついたジャガイモのようだ」と評された田中の作風に通ずる
    点が既に見られる。
1956年 神奈川県立近代美術館で開かれた「今日の新人展」に招待出品、
1957年 神奈川県立近代美術館主催のシェル美術賞展に「杭」「父子」を出品し一等賞を得る。また、
    同年の行動展出品作「層」は行動美術賞を受け、いわゆる戦中派世代の旗手と目される。
1958年 春、戦後再開された外国美術紹介が活発となったこと等に触発され、渡仏。
1959年 サロン・ドートンヌに出品するとともに、グラン・エ・ジューヌ・オージュルディ展に招待
    出品する。また、同年フランス・ビルヌーブ1等賞を受賞。
1960年 モナコ国際展絵画部グランプリ、仏国ポンタヴァン賞を受賞、
1961年 サロン・ドートンヌ会員となる。荒目カンバスとビニール系の水性塗料を用いた素朴なマチエル
    を持つ白い下地に、パリの庶民を描き出す独特の作風は63年頃に定着をみる。
1962年 パリ・ジャン・カステル画廊と契約、翌年エルベ画廊と契約する。
    日本においては、朝日国際具象展、同秀作美術展、毎日現代美術展、同国際美術展に招待出品
    する
1967年 東京、名古屋で個展を開いている。(同1969、1971年)
1975年 神奈川県立近代美術館で「田中阿喜良展」が開催される。
1982年 心筋こうそくのため、6月10日パリの病院で死去した。享年63。本名中島阿喜良。