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清水登之 「昭南の丘」 F15号























 
 作家名  清水登之
 タイトル  昭南の丘
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F15号 64.5×53.1cm
   84×72.7cm
 サイン  画面右下にサイン。東美鑑定付。
 状態  作品状態は概ね良好(画像5の通り空にひびあり)。額所々スレあり。さし箱。
 略歴


清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 - 1945年(昭和20年)12月7日)は、栃木県出身の画家。

1887年 1月1日、栃木県下都賀郡国府村大字大塚(現・栃木市大塚町)で、清水藤十郎・ムラ夫妻の
    長男として生まれる。弟は東亜同文書院教授・外交官清水董三。
    (旧制)栃木県立栃木中学校から陸軍士官学校への進学を志し成城学校に転校。
1906年 同校を卒業するも陸軍士官学校への受験に失敗し、翌年には単身アメリカ合衆国へ渡航する。
    暫くはシアトルで肉体労働に従事するが、
1912年 オランダ人画家フォッコ・タダマが同地で開いていた画塾に入門した(同時期、洋画家の
    田中保や石垣栄太郎もここで学んでいる)。
1917年 ニューヨークへ移り、デザインの仕事をしながらアート・スチューデンツ・リーグで
    ジョン・スローンらの教えを受ける。ユーモアとペーソスにあふれた庶民生活を描く作品は
    高く評価されます。一時結婚のため帰国した後、再渡米翌年の
1921年 第34回アメリカ絵画彫刻展に「横浜夜景」が招待出品される。一旦は受賞が決まったものの、
    アメリカ人でなかったことを理由に受賞を取り消されてしまう。その後
1924年 一家挙げてフランス・パリに移住し、三宅克己や藤田嗣治・海老原喜之助・清水多嘉示ら
    パリ在住の画家たちと交わりながらサロン・ドートンヌで入選する栄誉に与った。
    キュビスムをはじめとする新しい絵画に触れながら、物語性豊かな作風に発展させました。
1925年 スペイン旅行
1927年 帰国してからは東京を拠点に活動し、丸ビル内で個展を開催。
1930年 第17回二科展で「地に憩ふ」により二科賞を受賞。その後は独立美術協会の結成に加わり、
    その中心メンバーとして活躍。
1931年 吉祥寺に画室兼住宅を新築。
1932年 従軍画家となり戦争を題材として多くの戦争画を描く。
1942年 彩管報国隊に加わり、東南アジア各地を取材。
    最晩年は栃木の生家に疎開するも、
1945年 6月に長男・育夫の戦死を知り、終戦直後の12月に死去。

2007年 1月14日(日)〜3月4日(日)企画展「清水登之のすべて」(栃木県立美術館)

受賞歴
1925年、サロン・ドートンヌ入選
1929年、樗牛賞(二科展)受賞
1930年、二科賞受賞

 評価  
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