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斎藤真一 「冬の西頚城」 SM

















   
 作家名   斎藤真一  
 タイトル   冬の西頚城
 技法   木の板に油絵の具で丹念に描いてあります。
 サイズ   SM 
 額サイズ   36.5×43cm 
 サイン   画面右下に漢字のサイン(真一)があります。
  作品裏側にタイトルと作者名、制作年等が記してあり、
  額縁裏側にも画伯自筆の「共シール」が貼付してあります。
  重厚な木製専用額縁所々に僅かなスレ・アタリが数か所ありますが、作品には
  全く問題ありません。  
 状態   作品の状態は良好。「額縁全体入り画像」に撮影時の映り込みがあります。
  重厚な木製専用額縁所々に僅かなスレ・アタリが数か所ありますが、作品には
  全く問題ありません。
 略歴


1922年(大正11年)7月6日 - 岡山県児島郡味野町(現・倉敷市児島味野)に、
    父・斎藤藤太郎(都山流尺八大師範)、母・益の長男として生まれる。
1925年(大正14年)- 弟・彰男が生まれる。
1929年(昭和4年) - 妹・昌子が生まれる。
1935年(昭和10年)- 岡山県立天城中学校に入学する。味野から峠を越えて3里半
    の天城中学まで5年間、自転車で通学する。
1937年(昭和12年)- 前年、陸上部に入部し、秋から県大会に出場し、しばしば入賞。
    この年、県下駅伝にアンカーとして出場し優勝し、天城中学の名を高める。
1938年(昭和13年)- 県下駅伝の優勝でマラソンに誘われるが、絵が好きで断念
    する。油絵具を買ってもらい猛烈に絵に興味を抱き、天城中学より更に2里離れた
    大原美術館に毎日曜日に通い、グレコ、セガンチニ、コッテ に惹かれる。
    教師から藤田嗣治の複製画を見せられ虜になり、上野の美校(東京美術学校)
    に憧れる。
1940年(昭和15年)- 岡山県立天城中学校を卒業し、岡山師範二部に入学する。
    美校に入学のため、師範2年間デッサン室にこもり親友と受験デッサンに明け暮れる。
1942年(昭和17年)- 東京美術学校(現・東京芸術大学)師範科に入学する。在学中、
    学徒出陣で海軍に3年従軍する。
1948年(昭和23年)- 東京美術学校を卒業。静岡市立第一中学校に就任する。
    第4回日展に「鶏小屋」が初入選する。
1949年(昭和24年)- 岡山県味野中学校に転任。萩野悦子と結婚する。味野中学校を
    退職し、神奈川県の鵠沼に住む。
1950年(昭和25年)- 岡山県立天城高等学校の非常勤講師として勤める。
1951年(昭和26年)- 長男・裕重生れる。
1952年(昭和27年)- 光風会第38回展に「閑窓」が入選する。
1953年(昭和28年)- 静岡県立伊東高等学校に着任する。
1957年(昭和32年)- 光風会第43回展に「立春の道」を出展し、プールヴ賞を受賞。
1958年(昭和33年)- 船で横浜からマルセイユまで行き、パリに留学。静岡、伊東、
    岡山で個展を開いたり、弟・彰男、妹・昌子など親族の援助あり渡航の
    費用を捻出する。40日間かけてイタリアまで原動機付自転車で放浪する。
    滞欧中、藤田嗣治と親交を深める。
1960年(昭和35年)- 日本に帰国。帰国の時に藤田嗣治から「日本に帰ったら秋田
    や東北の良さを教えられ、自分の画風で描きなさい。」と勧められる。
    文藝春秋画廊(東京)にて帰国後初の個展を開く。
1961年(昭和36年)- 夏、津軽へ行き、ねぶた祭に感動する。津軽三味線の音色
    に驚き、宿の古老から瞽女のことを教えられる。
1962年(昭和37年)- 瞽女に惹かれ、盲目の女性を描く。
1964年(昭和39年)- 杉本キクエ瞽女に初めて訪ねる。
1965年(昭和40年)- この年より、約10年間、休暇のほとんどをさいて瞽女を取材
    するため越後に通う。
1970年(昭和45年)- 羽黒洞(東京)主催で文藝春秋画廊にて「越後瞽女日記展」
    を主催する。
1971年(昭和46年)- 「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)で第14回安井賞
    佳作賞を受賞。18年間勤めた伊東高校を退職する。この年、1年間水上勉
    「松吟庵記」(月刊誌「小原流挿花」)の挿し絵を描く。
1972年(昭和47年)- 『越後瞽女日記』(河原書房新社)、『瞽女=盲目の旅芸人』
    (日本放送協会)を刊行。
1973年(昭和48年)- 『瞽女=盲目の旅芸人』で第21回日本エッセイストクラブ賞を
    受賞。『越後瞽女日記』でADC賞(美術出版社)を受賞。
    以後、不幸な女たちを主たる題材として、画文を多く刊行する。映画
    『津軽じょんがら』のための挿入絵を制作し、考証にあたる。劇団文化座
    による「越後瞽女日記」を考証する。
1974年(昭和49年)- 羽黒洞主催で上野松坂屋(東京)にて「津軽じょんから
    ―瞽女日記展」を開催。『津軽じょんから―瞽女日記』(大西書店)を刊行。
1975年(昭和50年)- 羽黒洞主催で上野松坂屋にて「お春瞽女物語り展」を開催。
    私家版『お春瞽女物語りノート』(制作=大西祥司)を刊行。
    この1年間瀬戸内寂聴「遠い風近い風」(朝日新聞)の挿し絵を描く。
1976年(昭和51年)- イタリアのシチリア、ウンブリア、トスカーナを1ヶ月間旅行。
1977年(昭和52年)- 『瞽女斎藤真一画集』(毎日新聞社)を刊行。
    カルド・マディニオン画廊(パリ)にて個展を開催。
    スイス、バーゼルのクンストメッセ(国際画商見本市)に出品し、3ヶ月滞欧
    する。以後79年まで毎年出品。『瞽女物語』(講談社)を刊行。
    この年、和田芳恵著『道祖神幕』(大西書店)の挿画、装丁を手がける。
1978年(昭和53年)- 『絵日記瞽女を訪ねて』(日本放送出版協会)を刊行。
    ドイツのアキシオム画廊(ゲルン)主催での個展開催のため渡欧する。
    『斎藤真一放浪記』(美術出版社)から刊行。『いないいないの国』
    (文―神沢利子 画―斎藤真一 童心社)を刊行。
1979年(昭和54年)- 池袋西武百貨店(東京)にて「さすらい・斎藤真一展」を開催。
    『斎藤真一作品集 1941〜1979』(不忍画廊)を刊行。スペインのラマンチャ、
    アンダルシアを旅行する。
1980年(昭和55年)- 『さすらい―斎藤真一画集』(講談社)を刊行。イタリア、
    スイスを旅行する。不忍画廊にて「斎藤真一・さすらい画集原画展」を開催。
1981年(昭和56年)- カナダのヴィクトリア美術館(モントリオール)に作品が
    収蔵される。
1982年(昭和57年)- 毎日新聞社主催で阪急ナビオ美術館(大阪)ほかにて
    「斎藤真一の世界展」。 スペイン、アンダルシア、トスカーナ、カタロニア、
    ランマシャを旅行する。不忍画廊にて「画廊コレクションによる斎藤真一展」
    を開催。
1983年(昭和58年)- 『一寸昔』(青英社)を刊行。ミニアチュール銅版画集
    『走馬灯』(美術出版社)を刊行。『風雨雪』(青英社)を刊行。
1984年(昭和59年)- 水上勉「長い橋」(日本経済新聞)の挿絵を一年間連載。
1985年(昭和60年)- 『ぶっちんごまの女(母の記)』(角川書店)を刊行。
    『紙草紙 吉原炎上』(文藝春秋)を刊行。『明治吉原細見記』(河出書房新社)
    を刊行。毎日新聞紙社・西武美術館主催で西武アートフォーラム(東京)にて
    「斎藤真一・明治吉原細見記展」。以後阪急ナビオ美術館(毎日新聞主催)
    でも開催。
1986年(昭和61年)- 不忍画廊にて「浪漫の女たち〈水墨淡彩掛軸シリーズ〉展」
    を開催。天満屋岡山店にて「明治吉原細見記展」。ポルトガルを旅行する。
    不忍画廊にて「浪漫の女たち〈水墨淡彩掛軸シリーズ〉展」。
1987年(昭和62年)- 『斎藤真一放浪記』(美術出版社)を刊行。日本橋高島屋にて
    「明治の吉原とその女たち―斎藤真一展」。母の知り合いで、出身の倉敷の
    女性が吉原の花魁だったことから明治期吉原を描いた、『明治吉原細見記』
    と『絵草子吉原炎上』が五社英雄監督によって映画「吉原炎上」(東映株式会社)
    として上映される。
1990年(平成2年)- 岡山県立美術館にて第7回洋画常設特別陳列「斎藤真一展」
    を開催。月刊誌『マリ・クレール』に3月号から翌年2月号まで連載された
    小川洋子「シュガータイム」の挿絵を描く。
1991年(平成3年)- 『昭和の美術』(第6巻)(毎日新聞社)に「現代の孤独」
    (世田谷美術館蔵)が選ばれる。
    倉敷市立美術館にて「第4回郷土作家展 斎藤真一」を開催。
1992年(平成4年)- ポルトガルを旅行する。不忍画廊にて
    「哀愁の街角ポルトガルにて斎藤真一新作小品展」を開催。
1993年(平成5年)- フランス、ポルトガルを旅行する。山形県天童市に
    出羽桜美術館分館、斎藤真一心の美術館を開館する。
    斎藤真一心の美術館にて「風のうたれ雨にぬれて…斎藤真一展」を開催。
1994年(平成6年)- 9月18日 膵臓癌により逝去。72歳。不忍画廊にて「
    斎藤真一遺作展I」
死後
1995年(平成7年)- 池田二十世紀美術館(伊東)にて「斎藤真一の世界―想い出の
    伊東展」を開催。不忍画廊にて「斎藤真一遺作展II」。不忍画廊にて
    「斎藤真一〈瞽女シリーズ〉遺作展III」。
1996年(平成8年)- 不忍画廊にて「斎藤真一〈女〉遺作展IV」。
1997年(平成9年)- 劇団文化座により、「越後瞽女日記・瞽女さ、きてくんない」
    が再公演される。上越市立総合博物館にて「斎藤真一が描く、高田瞽女
     越後瞽女日記展」が開催される。不忍画廊にて「斎藤真一〈放浪〉展遺作展V」。
    TIAF(東京インターナショナルアートフェスティバル)不忍画廊ブースにて
    「斎藤真一秀作展」。
1998年(平成10年)- 不忍画廊にて「斎藤真一〈自画像と旅芸人〉遺作展VI」。
1999年(平成11年)- 東京ステーションギャラリーにて「斎藤真一展」開催。
    不忍画廊にて「斎藤真一〈赫〉遺作展VII」。
2000年(平成12年)- 不忍画廊にて「斎藤真一〈憂愁〉遺作展VIII」。
2001年(平成13年)- 不忍画廊にて「斎藤真一〈道〉遺作展VIIII」。
2002年(平成14年)- 不忍画廊にて「斎藤真一瞽女名作展〈GOZE〉 遺作展X」。
2003年(平成15年)- 不忍画廊にて「斎藤真一 初期名作展 遺作展XI」。
    リアス・アーク美術館にて「出羽桜美術館コレクションによる斎藤真一名作展」。
    岡山県立美術館にて個展「斎藤真一 さすらい展―なつかしき故里をもとめて」。
    新津市美術館にて「越後の瞽女を描く 木下晋 斎藤真一展」。
2004年(平成16年)- 不忍画廊にて「斎藤真一グラフィックワークス 遺作展XII」、
    滑川市博物館にて「瞽女の境涯を描く-斎藤真一展」。
2005年(平成17年)- 不忍画廊にて「斎藤真一×野田雄一 師へ捧ぐGlass Works
     遺作展XIII」展。

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