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中野淳 「望楼」 F20号

















   
 作家名   中野淳
 タイトル   望楼
 技法   キャンバスに油彩
 サイズ   F20号 
 額サイズ   77×89cm
 サイン   作品の右下にサイン有。
 状態   作品は良好。額縁は経年の感あり
 略歴


1925年8月22日 東京都生まれ
1957年、モスクワ国際美術展覧会に出品、プーシキン美術館賞受賞。
同年11月、エッセイ「クレムリンの赤い月」を『美術手帖』 (通号 133)に掲載。
1959年2月、日本美術会事務局長となる。
同年10月、同会の事務所があった舞台芸術学院が全焼したため、
       同会事務局を自宅に移転。
1960年2月、日本美術会事務局長を退任。1961年5月まで、同会事務局長ポストは空席
        となる
1964年8月3日、大野五郎、寺田政明、中島保彦、森芳雄、吉井忠、麻生三郎ら38名で
        自由美術家協会退会を決意。主体美術協会の創立に参加。
1966年、『画集』 (三彩社)刊行。
1967年2月、『アトリエ』「特集・風景画の実技」に「河と建物のある風景」を発表。
1968年3月、『アトリエ』に「スケッチのいろいろな描き方」を発表。
1969年2月、『アトリエ』に「油絵・初歩から作品発表まで」を発表。
1974年1月、『風景を描く(新技法シリーズ 17)』(美術出版社)刊行。
1976年、武蔵野美術大学油絵学科の非常勤講師となる[1]。
1979年、同大学油絵学科教授[1]。
1984年、同大学油絵学科主任教授[1]。
1986年7月12日~8月31日、東京富士美術館で、「中野淳展 憂愁と旅情—ロマン漂う
       懐かしき風景の詩」。同年、『中野淳画集』(アートよみうり)刊行。
1987年、「油彩画の私的軌跡」を『武蔵野美術大学研究紀要』(通号 18、武蔵野美術
      大学研究紀要編集委員会編)に発表。
1988年、武蔵野美術大学在外研修員として渡欧。
1993年11月、主体美術協会会員を辞任。元会員の赤塚徹、根岸正、金野宏治、上野實、
      戸津勇作、羽原智達、東紀久夫、河瀬うた代、本田久一郎とともに
      新作家美術協会を結成[6]。
1994年、第9回小山敬三美術賞を受賞。日本橋・高島屋で、「受賞記念中野淳展」開催。
      小山敬三美術振興財団から目録刊行。
1995年1月、『MADO美術の窓』1995年1月号(生活の友社刊)に「松本竣介と私」を掲載。
       同年9月28日〜10月30日、武蔵野美術大学で中野淳展開催。
1999年8月、『青い絵具の匂い—松本竣介と私』 (中公文庫) を刊行。
2008年9月27日、テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」の松本竣介特集に出演。


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