<その3>に戻る


中西勝 「母子像モロッコ」 S15号














   
 作家名  中西勝
 タイトル  母子像モロッコ
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  S15号
 額サイズ  75.5×75.5cm
 サイン  左下にサイン。
 状態  作品状態は良好。額所々スレあり。さし箱(経年感あり)
 略歴


1924年 大阪市に生まれる。
1942年 旧制中学校卒業後、中之島洋画研究所で学ぶ。
1943年 帝国美術学校(現・武蔵野大学)に入学
1944年 学徒動員で中国中部戦線に従軍する。
1946年 上海より復員する。
1947年 武蔵野美術学校を卒業し、大阪市立美術研究所で学ぶ。
1949年 神戸市立の中学校教諭となり、神戸に移る。第3回二紀展に初出品し、「無題」で二紀大賞を
    受賞する。以後、二紀展に出品を続ける。神戸彫塑会展に彫刻作品を出品。
1950年 美術団体連合展に出品する。
1955年 第1回朝日新人賞展に出品する。
1956年 第2回現代日本美術展に出品する。58年、60年、64年も出品する。
1957年 第4回日本国際美術展に出品する。59年、63年も出品する。
1959年 元町画廊で開催された兵庫県新作家シリーズ10人展に出品する。
1963年 第1回神戸半どん文化賞を受賞する。
1965年 妻咲子とともにアルゼンチン号で神戸港を出発する。ロサンジェルスに着き、約6か月滞在
    する。
1966年 ロサンジェルス仏教会館で個展開催。車でアメリカ西部まで横断旅行しメキシコに入る。
1967年 約8か月間メキシコ各地に旅行し、ニューヨークに戻る。
1968年 航路でドイツ、ブレムハーベンへ。車でヨーロッパ各地を旅行しながら南下しモロッコに
    入る。
1969年 モロッコよりアトラス山脈を越え砂漠を横断、マラケシュ、アガデールに約6か月間滞在する。
    ヨーロッパに戻り、最後の4か月間をパリで過ごす。リスボンで個展開催。
1970年 ポーランドを経てモスクワへ。シベリア鉄道でナホトカへ行き、航路横浜港へ到着する。
    帰国後、神戸学院大学人文学部美術専任教授となる。
    世界旅行による画集「私は外へ出て見た」発刊(梅田画廊)し個展を神戸と大阪で開催する。
1971年 第1回兵庫美術祭(兵庫県立近代美術館)に出品する。
1972年 「大地の聖母子」で第15回安井賞受賞。「黒い聖母子」で二紀会文部大臣賞受賞。
    個展を東京、大阪で開催する。
1973年 モロッコ再訪し、マラケシュに約6か月間滞在する。
1974年 「県内在住安井賞受賞画家鴨居玲、西村功、中西勝、山本文彦」展(兵庫県立近代美術館)
    に出品する。兵庫県文化賞受賞。
1976年 神戸市文化賞受賞。
1977年 フランスに行き、ブルターニュとパリに6か月間滞在する。
1979年 自選による個展開催(京都・朝日会館)。
1986年 上野の森美術館絵画大賞審査員をつとめる。
1987年 二紀会の常任理事となる。
1989年 神戸市政100年功労者賞を受ける。
1992年 神戸新聞社平和賞受賞。文化庁地域文化功労者表彰をうける。
1994年 回顧展「中西勝の世界展」(池田20世紀美術館)開催。
1995年 阪神・淡路大震災。
1996年 第6回神戸っ子賞を受賞する。
2009年 「中西勝展」(神戸市立小磯良平平和記念美術館)開催。
2015年 5月、没。

中西勝は、1924(大正13)年、大阪に生まれています。恵まれた少年時代を過ごす中、中学生の時に画家になる決意を固めます。
大阪の中之島洋画研究所や東京の川端画学校などに学んだ後、1943(昭和18)年、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学しますが、学徒出陣により絵画の勉強を中断、中国大陸での厳しい軍隊生活を経験しました。
悲惨な戦争体験に多くを学んだ戦後は、大阪市立美術研究所などで絵画修業を再開し、神戸市立西代中学校の美術教諭となった1949(昭和24)年に、まだ戦争の傷跡が深く残っていた神戸に転居します。
そして同年には、宮本三郎、田村孝之介らが創立した第二紀会(現・二紀会)の第3回展に初出品し、《無題》で二紀大賞を受賞しました。
その後、田村が主宰する六甲洋画研究所などで後進の指導にあたるとともに、自身の画風を抽象的なものへと変えていた中西は、1965(昭和40)年秋、自家用車による破天荒な世界一周の旅に夫人とともに出かけます。そして、20数カ国をまわる貴重な体験と豊かな糧を蓄えて帰国したのが、4年半後1970(昭和45)年春でした。
その後の中西は、モロッコやメキシコなどの伝統文化と人々の生活に触発された母子像などを描くようになります。中西の名前を一躍全国的なものとした代表作《大地の聖母子》もその1点で、第15回安井賞を受賞しています。
それ以後も神戸を基盤に精力的な創作活動を続け、1974(昭和49)年と1976(昭和51)年に、神戸市と兵庫県の文化賞をそれぞれ受賞しました。
「芸術家である前にまず人間でありたい」と語る中西勝は、二紀会の常任理事である現在も、神戸洋画界のリーダー的存在として活躍しました。


 評価  
 発送