<その1>に戻る


村上肥出夫 「プラス・クリシー」 P10号

















   
 作家名  村上肥出夫 
 タイトル  プラス・クリシー
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F10号 
 額サイズ  72.5×55cm
 サイン  作品左下にサイン。作品裏に共シール。
 状態  作品は良好。額縁は経年の感あり。
 略歴


1933年 岐阜県土岐市に生まれる。幼少期からゴッホに憧れ、独学で油絵を始める。 
1953年 画家を志して上京、日雇い労働や荒川の鉄橋下で寝起きするような生活のなかで油絵を描く。 
1961年 彫刻家本郷新の紹介により、兜屋画廊西川武郎の知遇と援助を得て、 さらに制作に没頭する。
1963年 銀座松坂屋にて新作150点による大個展開催。名古屋、大阪にて開催。
    安井賞展 に出品、 
1964年 大阪芸術祭にて個展開催、渡米。12月パリ、ニューヨーク、東京銀座松坂屋 にて個展 
1966年 日本洋画商協同組合展に出品、 
1971年 銀座松坂屋にて個展開催、 
1983年 村上肥出夫展(1961年ー63年) 兜屋画廊(東京・名古屋店)
1984年 渡仏作品(パステル)開催、 
1994年 村上肥出夫展 兜屋画廊、
1999年 兜屋画廊(銀座) 
2000年 兜屋画廊( 銀座)、回顧展爾麗美術(横浜) 
2001年 回顧展 菊川画廊(山口 )兜屋画廊(銀座) 
2002年 回顧展・兜屋画廊、銀座、回顧展・爾麗美術(横浜)。 回顧展・菊川画廊(宇部)他

(詳細経歴)
1933年 岐阜県土岐郡肥田(現・土岐市)に10人兄弟の三男として生まれる。
1945年 父が警察官であったため、何度か転校をし、父が定年退職し、父の実家のあった
    岐阜県養老郡養老町に戻る。
1948年 15歳、岐阜県養老郡高田中学を卒業。牛乳配達、看板屋の手伝い、養鶏場など日雇いの
    仕事をしながら、ゴッホに憧れ独学で油絵を始める。
1953年 20歳、 画家を志して上京、はじめは父の友人の紹介で銀座のレストラン「美濃屋」にコック
    見習いとして勤める。やがて「美濃屋」を退職してからは、ビル掃除、港湾労働などを
    しながら、 粘土、レンガ、コールタール、鉄錆、鍋底の炭などを絵具代わりにして絵を描く。
    一時期、銀座の路上に寝泊まりする。
1958年 25歳、「篠原有司男個展」を見て感激、篠原に会う。中野や銀座でサンドイッチマンをし、
    安住孝史など画家志望の青年と出会う。
1960年 仕事の合間に、画廊を巡ったり、美術学校に潜り込んだ。
1960年 27歳、この頃、北千住日ノ出町で下宿生活をしながら浅草の中華料理店「満楽」で働く。
    ここで描いた油彩《建物のある風景》が東光会に初入選。「満楽」をやめ、下宿を出て、
    荒川沿いの日光街道にかかる千住大橋鉄橋下で寝起きするようになる。
1961年 28歳、銀座並木通りの路上で絵を売っていたところ彫刻家本郷新に見いだされ、本郷の紹介
    により、兜屋画廊西川武郎の知遇を得る。その後西川の援助を受け、2年の間に60号程度の
    油彩を約300点描く。
1962年 29歳、《タワー》と《本郷》が安井賞候補となる。
1963年 30歳、新作150点による大個展を2月から4月にかけて開催、銀座松坂屋、名古屋松阪屋、
    大阪松阪屋を巡回し、好評を博す。同年4月から8月にかけてパリに遊学。
1964年 31歳、4月、ニューヨークを旅行。同年「村上肥出夫都会風景画展」(大阪毎日ギャラリー)、
    「巴里―紐育―東京を描く油彩・素描展」(銀座松阪屋)を開催、マスコミの注目を浴び、
    一躍画壇の寵児となる。
1965年 32歳、イタリア旅行。
1967年 34歳、中央大学学生だった作家北方謙三と出会い交友が始まる。
1971年 38歳、個展に際し、川端康成から「構図の整理などに多少のわがままが見えるにしても
    豊烈哀号の心情を切々と訴へて人の胸に通う」と評される。
1972年 39歳、パリに滞在し制作する。「サロン・ナショナル・デ・ボザール」に出品。
    「サロン・ドートンヌ」に出品し銀賞受賞。
1975年 42歳、個展に際し、石川達三から「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを
    描く、そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないで
    あるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った
    顔は意外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈である」と評される。
1976年 43歳、『パリの舗道』(彌生書房)刊行。
1977年 44歳、ブラジル旅行。
1979年 46歳、東京を離れ、岐阜県益田郡萩原町下呂温泉近くに自宅アトリエを構える。
    以後主に兜屋画廊での個展を続ける。
1997年 64歳、荻原町の自宅アトリエが全焼し、約2万冊の蔵書、絵具、新作のエスキースなどが
    焼失する。
    それを境に精神に変調を来し、現在岐阜県高山市の病院で療養生活を続けている。
2004年 71歳、「村上肥出夫と放浪の画家たち ―漂白の中にみつけた美― 」展(群馬・大川美術館)開催
    される。
2016年 83歳。4月10日(日) 〜 5月29日(日)村上肥出夫展長野県東御市、東御市梅野記念絵画館


 評価
 発送  入金確認後、クロネコヤマトまたは佐川急便の着払いで発送いたします