<その8>に戻る


牧野邦夫 「女性像」 4号














牧野邦夫(まきのくにお、1925年5月27日-1986年10月1日)は東京都渋谷区幡ヶ谷生まれの画家。
幼少期を小田原で過ごす。父母を早く亡くし、姉に育てられる。従兄の幻想小説家牧野信一から、
「芸術家にだけはなるな」と諭されていたが、ゴッホやレンブラントに魅かれ17 歳で画家を志す。
川端画学校をへて東京美術学校油画科に学ぶ。伊原宇三郎、安井曾太郎に師事す。
1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。戦後の1948年、東京美術学校を卒業。
写実的な人物画で知られるようになる。1962年と65年の安井賞候補新人展に入選。 ガンにて死去     


 作家名   牧野邦夫
 タイトル   素描画「女性像」
 技法   オリジナル 紙に素描
 サイズ   33×23.5cm(4号サイズ) 
 額サイズ   56×44cm  
 サイン   作品右下にサイン  額縁裏に鑑定シール付  
 状態   作品は長い時代経過の中でシミ汚れも多少ありますが、目立つ傷みもなく総じてとても
  良好な状態です。 額縁は経年の感あり
 略歴


1925年 5月27日 父義郎,母ミヨの七番目の子として東京・幡ケ谷に生まれる
1929年 3月 母を亡くす。神奈川県小田原で幼年期を過ごす
1932年 4月 小田原城内小学校入学。姉・美江に導かれ,小田原教会へ通う
1933年 9月 東京へ転校。目白の教会に通う
1935年 12月 父を亡くす。この時,従兄・作家牧野信一は邦夫を励ます 「君は一高,
     東大へ行け」と
1936年 3月 牧野信一死す
1938年 3月 安田商業学校(東京・両国)入学
      学校時代はディズニー等の漫画を得意とし
      将来は漫画家にという夢をもっていた
1942年 このころ見たヴァン・ゴッホの絵に強い衝撃 を受け絵描きのなる決心をする。
      美校受験の決意をかため川端画学校へ通い始める
1943年 4月 東京美術学校油画科入学 井原宇三郎,安井曾太郎両先生に師事
      戦時下のもとでの勉学であった
      井原宇三郎先生の言葉「1日12時間以上描かなければ歴史に残るが画家
      にはなれない」の教えを生涯守り通そうとした
1945年 2月の末から3月にかけての東京空襲の時 千葉から東京へ歩いて戻る途中,
      空襲で 死んだ多くの人達のおびただしい死体の山の中を通ってきた
    5月に召集され,8月九州・都城で終戦。 小田原に帰る途中の汽車から被爆後
     数日目の広島の街を見た。
    後に,その体験と戦争のむごさを訴えた大作100号≪インパール≫ を1979年に
    完成させている
    復員後,疎開中の小田原では部屋にこもり自画像ばかりを描きつづける 武装
    する自画像
1946年 4月 復活した美校に戻り,湘南電車で通学
    牧野信一の弟英二氏より,信一が愛用していた油絵具一式を譲り受ける
1948年 3月 東京美術学校油画科卒業。卒業制作は≪自画像≫≪姉の肖像≫
    美校では明治,大正,昭和にわたる油画科学生の卒業期の自画像のコレ
    クションが収蔵されているが,1943〜1949年まで戦のため中断されている。
    おびただしい数の自画像を描いた牧野作品は1948年卒業のため,収蔵され
    ていない
1949年 姉達の洋裁学校開校にともない茅ヶ崎に住む
1951年 第1回麓人展(ろくにんてん)  於丸善画廊
    東京美術学校同級生6人 (井上悦三,小林丙,小松光義,後藤義雄,
    藤沼源三,牧野邦夫)
1952年 第2回麓人展 於丸善画廊。以後1958年まで毎年開催
1959年 10月 第1回油絵個展 於いづみ画廊
    同案内状の推薦文は朝井閑右衛門氏
1962年 8月 第2回油絵個展 於丸善画廊
    12月 第6回安井賞候補新人展入選
1964年 歌劇の藤原義江氏の肖像画を描く 当時,外国人から作品依頼が多かっ
      たが, アメリカに渡った作品の所在は現在ほとんど 不明
1965年 7月第3回油絵個展(於文藝春秋画廊) 同展案内状の推薦文は
      中村傅三郎氏(美術評論家)
    12月 第9回安井賞候補新人展入選
1966年 3月 オランダを中心に欧州各国を廻り、秋帰国
1967年 3月油絵個展 於柏三屋画廊(名古屋)
    6月 バートン版『千夜一夜』集英社刊
    大宅壮一全訳 表紙ならびに押挿絵を描く
1968年 10月 デッサン展(於柏三屋画廊(名古屋))
1970年 3月 茅ヶ崎にて類焼にあい,≪靴屋の店≫≪会食する男達≫など焼失
    4月 第4回油絵個展(於フジ・アート・ギャラリー)
    同展案内状の推薦文は坂崎乙郎氏
1971年 2月 油絵個展 於柏三屋画廊(名古屋)
    3月 第14回安井賞展入選 於西部百貨店作品 ≪旗手≫
     ≪ジュリアーノ吉助の話≫
    10月 フジテレビ「テレビ美術館」リアリズムに徹する画家として出演。
    対談者は俳優石坂浩二氏
    11月 第5回油絵個展  於日本橋画廊
1973年 3月 油絵個展(於柏三屋画廊(名古屋))
    10月〜11月 第6回油絵個展(於日本橋画廊)
1975年 10月 五層之塔≪未完成の塔≫制作にとりかかる
1976年 5月〜6月 素描展(於パシフィックギャラリー)
    同展案内状の推薦文は吉行淳之介氏
    11月 第7回油絵個展(於文藝春秋画廊)
    同展案内状の推薦文は桑原住雄氏(美術評論家)
1978年 1月 銅版画展「自画像と憂羅」(於ワールドアートサロン)
    6月 油絵個展(於ギャラリー風)
1980年 10月〜11月 油絵個展 於セントラルギャラリー(大阪) 企画ギャラリー風
1981年 5月 第8回油絵個展(於文藝春秋画廊)(於日本橋画廊)同展案内状の
       推薦文は桑原住雄氏
1982年 11月 油絵小品展(於ギャラリー風)
1983年 3月 オランダを中心に欧州各国を廻り,秋帰国
1984年 11月 第9回油絵個展(於文藝春秋画廊)(於梅田近代美術館(大阪))
1985年 2月 2人の異色画家展(牧野邦夫/絹谷幸二)(於ギャラリー
       バートン(神戸))企画ギャラリー風
    3月 東京にもどり,アトリエを井の頭に移す
1986年 4月  異端の画家牧野邦夫展(於ギャラリー風)
    10月1日 死去
    12月 「牧野邦夫・告別の日」(於パピエ画廊)
1987年 9月  牧野邦夫追悼展 (於ギャラリー風
1988年 10月 「牧野邦夫と仲間達展」 於小財堂画廊)
    11月 第10回油絵個展(遺作展)
     ※牧野本人が予約していた 於文藝春秋画廊 『朝日新聞』'88年1
       月21日夕刊
     「牧野邦夫の絵持っていませんか」との記事が載る
     『朱羅』'88年3月号にて金子昌夫氏が「幻想の人生」と題して
       牧野邦夫を紹介
     『昭和経済』'88年4月号にて大内義一氏(早稲田大学名誉教授)が
      「牧野邦夫のこと」 と題し紹介
     『朝日新聞』'88年11月12日夕刊
      「人 きのう きょう」「モデルの妻 遺作集めやっと個展」と遺作展の記事
      が載る
1989年 2月〜3月 牧野邦夫画集出版記念展 (於ギャラリー風)
    3月牧野邦夫画集出版記念パーティ (於青学会館)
5月21日 NHK『日曜美術館』で「画家・牧野邦夫〜幻想の人間曼荼羅〜」
     と題し放送
1990年 5月〜6月  牧野邦夫展(於東京・新宿小田急グランドギャラリー)
     以後,神戸・大丸,名古屋・パルコギャラリー京都・大丸ミュージアム,
     尾道市立美術館を巡回
1996年 3月 牧野邦夫素描展「没後10年未発表作」(於永井画廊(銀座))
    11月 没後10年 牧野邦夫 油彩展(於 永井画廊(青山に移転))
1997年 1月 牧野邦夫遺作素描展(ギャラリトミタ広島)
    9月〜10月ニケ・オープニング牧野邦夫素描遺作展「20代の作品を中心に」
     (於ギャラリーニケ(銀座))
1998年 1月 牧野邦夫 遺作素描展(於ギャラリーちめんかのや(中野区沼袋))
    3月 ギャラリー風(大阪)
     牧野邦夫ドローイング展
     9月〜10月 ギャラリーいなば(東京浜松町)牧野邦夫素描展
    4月25日〜6月10日 茅ヶ崎市美術館 開館記念所蔵展 「かけをする人達」展示
    8月15日〜9月13日 茅ヶ崎市美術館 常設展U 「かけをする人達」展示
2000年 9月 牧野邦夫展 (於永井画廊)
    「牧野邦夫を語るin青山」開催(於青山蔦サロン
2013年 4月〜6月 「牧野邦夫-写真の精髄-展」(於練馬区立美術館)

 

 発送  入金確認後、クロネコヤマトまたは佐川急便の着払いで発送いたします


Yahoo!かんたん決済がご利用いただけます