<その16>に戻る


伊東万耀 「薔薇」 F8号














昭和を代表する日本画家、伊東万耀。美人画を得意とする同じ日本画家の伊東深水の次男でもある。
そんな伊東万耀は現代的な人物群像を得意としている。制作では昭和42年に「踊る」を描き上げました。
そしてこの作品に対して内閣総理大臣賞、翌年は芸術院賞を受賞していることからも彼の才能が
うかがえるエピソードです。
伊東万耀は本格的に画家として活動をするまで同じ日本画家である父伊東深水に指導を受け、
人物、花鳥を最も得意としていました。彼は、基本的に日展などで活躍していた画家なのです。
画家として創作活動を本格化にするまで戦前、朗峯画塾展など様々な展覧会に出品して受賞し、
昭和16年4回文展に「楽人」を初出品して入選しました。その象徴的な佇まい、それに加え父からの
影響もあるのか人物を美しく描く特徴もあるようです。また、絵画だけではなく折り紙作品も存在しています。
彼の作品は独特の研ぎ澄まされた造形感覚のもとに創作されていることが多いです。
父からの教えから得たのかは定かではありませんが絵画も折り紙作品もモデルにした物を美しく作る
特徴があるようです。
これらの作品は絵画は水彩画、折り紙作品の大半は複数のパーツによって生まれる複合作品で
、場合によっては切込みを使うこともあったそうで、ある意味でペーパークラフト的な要素の強い作品
が多いそうです。このような創作折り紙作品。やり方が特殊であるため、賛否両論があると思いますし、
好き嫌いもあるでしょう。それでもこれらは複合折り紙を追及した姿としてとても優れた作品だと思います。
少なくとも私個人としては凄く好みの作品です。ただ、伊東万耀の作品は数が少なくなかなか手に入れられ
なかったり見られることができないのが唯一の欠点。
これは仕方のないことで、彼は食道がんに侵されて49歳という若さでこの世を去ってしまっているのです。
しかし、遺された作品には彼の勤勉さや実直さが良く表れています。伊東万耀らしさと言えるでしょう。


   
 作家名  伊東万耀
 タイトル  薔薇
 技法  紙本・彩色
 サイズ  F8号 (45.5×37.9cm)
 額サイズ  61×53.3cm
 サイン  画面右下に落款・印章額縁裏面に共シール。
 状態  作品状態は所々にしみがあります。額所々スレあり。さし箱
 略歴


伊東 万燿(イトウ マンヨウ)

生年大正10(1921)年9月16日
没年昭和45(1970)年11月26日
出生地東京市
本名伊東 満(イトウ ミツル)
学歴〔年〕成城高卒
主な受賞名〔年〕新日展総理大臣賞〔昭和42年〕「踊る」,日本芸術院賞〔昭和43年〕「踊る」

経歴父に画を学ぶ。昭和14年新美術協会展に初入選、16年新文展に「楽人」が入選したが、
その直後応召、19年除隊。戦後日展を中心に活躍。22年「落葉する頃」、24年「高原清秋」
がともに日展で特賞となる。
25年日展依嘱となり、29年「無言(しじま)」で玉堂賞を受け、35年日展会員となる。
この間、深水門下による青衿会にも出品し、25年結成された日月社では委員、
のち総務を務めた。
42年新日展で「踊る」が総理大臣賞となり、翌年同作品で日本芸術院賞を受賞。
41年より日展評議員。
父深水の浮世絵風美人画に対して現代的な人物群像を得意とした。
作品数も少なく入手は困難な作家の一人といえる。
神奈川県立近代美術館、山種美術館などに所蔵されている。

※ 伊東 万燿 ※
物故(1921年〜1970年)
師:伊東深水

1921年 東京都出身
1939年 新美術協会展 初入選
1941年 新文展 初入選
1947年 日展 特選受賞
1949年 日展 特選受賞
1956年 日展 審査員
1958年 渡欧、渡米取材旅行
1960年 日展 会員推挙
1966年 日展 評議員推挙
1967年 日展 内閣総理大臣賞受賞
1968年 日本芸術院賞受賞
1970年 歿
日展評議員


 評価  
 発送