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南田昌康 「紅椿」 F6号

















   
 作家名  浜田観
 タイトル  紅椿
 技法  紙本・彩色
 サイズ  F6号 
 額サイズ  51.3×60.8cm
 サイン  画面右下に落款・印譜。額縁裏面に共シール。
 状態  作品状態は良好。額所々スレあり。黄袋・さし箱
 略歴


浜田観:ハマダ, カン

1898年 2月20日兵庫県姫路市に生まれ、本名仙太郎。神戸の画家大谷玉翠に絵の手ほどきを受けた後、
1919年 頃大阪に移り、洋画も学ぶ。
1929年 金島桂華の紹介で竹内栖鳳に入門。
1933年 第14回帝展に「八仙花」が初入選.
1936年 京都市立絵画専門学校選科を卒業し、研究科に進んだ。
1937年 より新文展に出品。
1937年 栖鳳門下で葱青社を結成する。
1940年 春、紀元2600年奉祝日本画大展覧会(大阪毎日主催)で「南紀梅林」が大毎東日賞、秋の同展で
    蒼穹賞を受賞した。戦後第2回より日展に出品し、
1947年 第3回日展「芥子」、1949年第5回日展「蓮池」が特選となる。
1950年 より日展依嘱出品、買上げとなった1956年第12回日展「樹映」を経て、
1958年 第1回新日展より評議員をつとめた。
1963年 日展第6回「朝」が文部大臣賞を受賞し、
1964年 第日展7回出品作「彩池」により翌1965年日本芸術院賞を受賞する。
1971年 日展理事、
1973年 日展参与、
1974年 京都府美術工芸功労者、
1975年 京都市文化功労者、
1980年 参事に就任、その後同顧問となった。一貫して花鳥画の世界を追求し、幽遠な画境を拓いた。
1984年 日本芸術院会員となった。
1985年 10月6日午前1時半、肝臓ガンのため京都市右京区の花房病院で死去した。享年87歳

 評価  
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