<その6>に戻る


後藤良平 「宇宙の神秘(A)」F30号











   
 作家名  後藤良平 
 タイトル  宇宙の神秘(A)   (仮題)
 技法  キャンバスに油彩
 サイズ  F30号 
 額サイズ  額無  
 サイン  作品表署名無し
 キャンバス裏、署名・年号(1990.5.11)記載有り 
 状態  堅牢で美しいマチエール!
 略歴

 
 後藤良平 (ごとう・りょうへい)                     
      
  1921年、神戸の海産物商に生まれる。京大卒。
  戦後は中小企業の勤務を経て、
  1952年、神戸市立神港高等学校に勤務し1980年退職。
  神港高等学校に勤務しながら様々な創作活動や展覧会を開く。
  自ら東洋の抽象画と銘うちカンバスに色彩を自由に
  躍らせ宇宙の神秘的空間を創造した。
  後藤は自ら流彩画と名づけ幾何学的に構成する抽象画を
  嫌い線、面、色が混然となる熱い抽象画を描ききった。
  金銭の為に作品を売らず孤高の生活の中、
  1998年、肺の病を得て国立神戸病院にて没する。
  画家が孤高の内に没っしたアトリエ兼自宅には300点余りの作品が残されていました。 
  『自由な塗料画の現代性』などの芸術や教育、そして趣味の
  旅に関する事など多方面にわたる小論文を発表。

 評論
 神戸新聞 Web News 文化

 独自の「流彩画」追求 後藤良平展「宇宙創造」
  2002/07/10

 数多くの独創的な抽象絵画を残しながら、ほとんど作品を公表せず、
 孤独のうちに亡くなった市井の画家、後藤良平。
 その素顔に迫る遺作展が神戸市中央区北野町二、北野Pocket美術函で開かれている。
 (三上喜美男)

 自在に踊り、流れる塗料/無限の精神世界を表現

 一九二一(大正十)年に神戸で生まれ、大学で経済学を専攻し、
 市立神港高校教諭として商業などを教えた。
 同居の母親と死別してからは独り暮らしを続け、九八年に肺を患って亡くなった。

 作品の特徴は赤や黄、青、黒などさまざまな色が自在に踊る抽象画。
 キャンバスの上を絵の具が流れ、混ざり合う。初期には墨で描いた作品もある。
 どれも不規則なうごめきから、流転や変化のエネルギーがほとばしる。

 後藤は自らの絵を「流彩画」と名づけた。
 幾何学的な図形で構成する「冷たい抽象画」ではなく、線・面・色が混然となった
 「熱い抽象画」だ、と書き残している。

 画材も独創的だ。絵の具として用いたのは建築、加工用のエナメル系化学塗料で、
 油彩やアクリル画にはない光沢や質感と耐久性がある。
 「自由な塗料画の現代性」という論文も執筆し、新素材開拓に意欲を
 見せていたことがうかがえる。

 一方で、絵画以外にも陸上競技や旅行が好きで、ユースホステルの
 案内書も執筆している。また、音楽に合わせて即興で踊る「自由ダンス」にも熱中していた。

 多くの抽象画家が、風景やものからイメージを発展させるのに対し、
 後藤の抽象画はダンスによる身体の躍動感がベースになっているようだ。

 作品の向きも「固定すると面白くない」と見る側にゆだね、そのため画面上にサインをしな
 かった。
 多彩な顔を持ち、徹底して「流動性」や「即興性」「自由」にこだわった人だといえる。

 作品の大半はB5判ほどの「サムホール」サイズの小品だが、八十号の比較的大きな
 作品もある。
 今回は十四日までをパート1、十六日から二十六日までをパート2として、約二百点が
 展示される。

 こんなに印象の強い作品を、なぜ、積極的に公開しなかったのか。

 そうした疑問をのみ込んで、色の奔流は見る側を宇宙の深淵(えん)へと引き込んでいく。

 北野Pocket美術函TEL078・262・9140

 
     
北野Pocket美術函

後藤良平展−宇宙創造PartT・PartU−
PartT:2002年7月2日(火)〜7月14日(日)
PartU:2002年7月16日(火)〜7月26日(金)
11:00-18:00 月曜休廊 
14日・26日は16時まで   
 


 発送  入金確認後、クロネコヤマトまたは佐川急便の着払いで発送いたします


Yahoo!かんたん決済がご利用いただけます