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麻田辧自「赤目渓流」P10号











 作家名  麻田辧次(麻田辧自)
 タイトル  赤目渓流
 技法  紙本・岩彩
 サイズ  P10号 
 額サイズ  55.8x75cm
 サイン  右下に落款・印章有り。 額裏に、共シール貼付
 状態  作品は良好。額縁は経年の感あり。 段ボール箱付属
 略歴等
麻田辨自(あさだ べんじ、1900年(明治33年)12月14日 〜 1984年(昭和59年)10月29日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家、版画家。長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。

1900年 12月14日京都府亀岡市に生まれ、本名辨次。
1914年 作画を開始しており、京都市立美術工芸学校に入学した。
1918年 京都市立絵画専門学校に入学
1921年 第3回帝展に旧姓中西辨次の名で出品した「洋犬哺乳」が初入選する。
1924年 京都市立絵画専門学校を卒業する。卒業と共に研究科に進学
1927年 麻田辨次の名で帝展に出品している。
1928年 棟方志功らと版画同人誌『版』を刊行する。
1929年 西村五雲に師事し、帝展と共に五雲画塾の晨鳥社展にも出品、また創作版画も手がける。また、
    徳力富吉郎や浅野竹二、亀井藤兵衛らと京都創作版画協会の結成に参加した。
1930年 恩地孝四郎らとともに雑誌『きつつき』を創刊するとともに木版画のシリーズ「新京都風景」
    (12枚1組)を徳力、浅野と共作で刊行した。
    第11回帝展に日本画「こな雪の朝」と共に「燕子花其他」の版画作品を出品する。
1931年 雑誌『大衆版画』を創刊、
1932年 日本版画協会に入会している。
1933年 武田新太郎らと雑誌『黄楊』を発刊
1938年 師五雲死去の後暫時低迷するが、戦後、風景画に新境地を開き、五雲社中の山口華楊らと晨鳥社
    という日本画の団体を創設する。
1950年 第6回日展で「樹蔭」が、特選
1951年 第7回日展で「群棲」が続けて特選を果たすとともに同年、同志とともに京都版画協会を結成した。
1958年 日展の評議員となった。
1959年 第2回新日展では「風霜」が文部大臣賞を受賞、
1964年 第7回新日展では「潮騒」が日本芸術院賞を受賞した。
1972年 日展理事
1974年 京都市文化功労者
1977年 日展参与、名を辨自としている。
1975年 京都府美術功労者
1977年 著書『巴里寸描』を求龍堂から出版している。
1980年 日展参事となり、また晨鳥社顧問
1984年 10月29日午前4時、肝不全のため京都市上京区の京都府立医大附属病院で死去した。享年84才。

〔主な所蔵館〕
京都国立近代美術館/富山県立近代美術館/京都市美術館/松本市立美術館/山種美術館/
佐久市立近代美術館など

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